「インフルエンサー」にならない自由。ラジオが教えてくれる距離感

深夜ラジオを聴くのが好きなのよ

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深夜ラジオを、聴く夜

山口一郎のオールナイトニッポン

サカナクションの山口一郎さんがパーソナリティを務める番組を聴いていた。


特別に集中して聴いていたわけではない。作業しながら、流しながら、ときどき手を止めて聴いて、また作業に戻る。

そういう聴き方がラジオには合っている気がする。

テレビや動画は「見る」ことを要求する。

でもラジオは「聴いていても、聴いていなくてもいい」という自由がある。

その緩やかさが、夜の時間に馴染む。


音楽についての話、日常のこと、ふと思ったこと。

すごく重要なことを言っているわけでもなく、でもやけに耳に残る。

それが深夜ラジオの、不思議な引力だと思う。

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「ファン獲得ゲーム」への違和感

ポッドキャストは今、一つのメディアとして確立されている。


マーケティング的に使う人もいれば、収益化を目指す人もいる。

「聴衆を増やすには」という攻略記事も多い。それ自体は悪いことではない。

でも「ファンを獲得する」という言葉には、どこか居心地の悪さを感じる。


聴いてくれる人を「獲得」するものとして捉えるとき、語り方が変わる気がする。


より多くの人に刺さるような話題を選び、より聴いてもらいやすい構成を考え、アルゴリズムに乗りやすい形にする。

それは戦略として有効かもしれない。

でもそこには「誰かに届けたい」という気持ちより、「数字を伸ばしたい」という気持ちが先に来る。


わたしはその方向には、行きたくないと思っている。

ラジオ的な、一対一の距離感

山口一郎さんの番組を聴いていて思うのは、語りかける相手が「不特定多数」ではないことだ。


聴いているのはたくさんの人かもしれない。でも語り方は、まるで一人に向けて話しているように聴こえる。

リスナーを「視聴者」として扱うのではなく、「今夜たまたま一緒にいる誰か」として話す。

その距離感が、深夜ラジオの温度を作っている。
わたしの番組『夜の独り言』で大切にしたいのも、まさにその感覚だ。


聴いてくれている人の数は関係ない。ひとりに向けて、静かに話す。

その人が夜に一人でいるとき、あるいは作業しながら何かを聴きたいとき、そっとそこにある声でありたい。

それがわたしにとっての「ラジオ」だ。

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「インフルエンサー」にならない自由

インフルエンサーという言葉が、どこかで息苦しい。


影響を与える人、という意味だけれど、その言葉の背後にあるのは、多くの場合「多くの人に影響を与える人」という意味合いだ。

フォロワー数、再生回数、拡散力。そういった数字で測られる存在。


わたしはその定義には、あてはまらなくていいと思っている。


少人数でもいい。届けたい人に届けばいい。

静かな場所に灯をともし続けることが、わたしにできる表現だ。

数字が増えなくても、声が届いていると感じられる瞬間があれば、それで充分だと思っている。
深夜ラジオを聴きながら、そのことを改めて確かめた夜だった。


山口一郎さんの声を聴きながら、自分の『夜の独り言』でどんな話をしたいかを考えていた。

特別なことではなくていい。

その日考えたこと、気がついたこと、うまくいかなかったこと。

ただそれを、静かに話す。聴いてくれる人が一人でもいれば、それで十分だ。


ラジオには、テレビやSNSと違う種類の親密さがある。画面がない分、声だけが届く。

ポッドキャストも同じ感覚があると思う。

その一本の糸が、不思議と深いところに繋がってくる。

自分の番組を続けていく理由は、その繋がりを信じているからだ。

インフルエンサーではなく、深夜の灯台でありたい。

そこに来た人だけに、静かに光を届ける場所として。

声は届かなくても、灯は見える。

その小さな確信が、続けることの理由になっている。

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