
季節の音を拾いながら歩くのも、なんか心地よいんだよね
なんとなく、押してみた録音ボタン
蝉の鳴き声が、あまりにも力強く響いていた日のことだった。
その音があまりに印象的で、ふと、記録として残しておきたくなった。
特別な機材など、手元にはない。
ただ、いつも持ち歩いているiPhoneのボイスメモを起動し、空に向けてそっと構えてみただけだった。
正直、大した期待はしていなかった。
スマートフォンのマイクなんて、所詮おまけ程度の性能だろう。
そんな先入観を抱きながら、とりあえず数十秒だけ、録音ボタンを押してみた。
想像を超えていた、拾われた音

再生してみて、思わず声が出た。
想像していたよりも、はるかにクリアに、蝉の声が収録されてるじゃない!
一匹一匹の鳴き声の重なり方や、風が葉を揺らす微かな音まで、驚くほど繊細に拾われている。
調子に乗って、その後も色々と試してみることにした。
砂利道を歩くときの足音。
普段は意識すらしない、そんな些細な音も、録音してみると、思いのほか豊かな質感を持っていることに気づかされた。
専用の録音機材など持っていなくても、身近なこの小さな機械一つで、日常に転がっている音を、こんなにも鮮やかに切り取れるのだ。
マイクの前で喋るのとはまた違った楽しさだよね
「聴く」という、新しいレンズ
この体験を通して、あらためて気づいたことがある。
普段のわたしたちは、耳から入ってくる情報の多くを、無意識に聞き流している。
蝉の声も、足音も、風の音も、日常の中では単なる背景音として処理され、意識に留まることはほとんどない。
けれど、「録音する」という行為を一つ挟むだけで、その聞き流していたはずの音が、急に輪郭を持ち始める。
まるでカメラのレンズを覗き込むように、耳という感覚器官を通して、世界を丁寧に切り取っていく感覚があった。
視覚だけでなく、聴覚もまた、世界を捉えるための一つのレンズになり得るのだと
ノイズを削ぎ落とす、静かな作業
録音した音源には、当然ながら、余計なノイズも一緒に紛れ込んでいる。
自分の息遣いや、意図せず入ってしまった声。
そうした不要な部分を、丁寧に切り取り、削ぎ落としていく作業が、また新たな発見をもたらしてくれた。
余計なものを取り除けば取り除くほど、純粋な音そのものが、くっきりと浮かび上がってくる。
蝉の声だけが、静かに響き渡る音源に仕上がったとき、そこにはまるで、あの日の空気だけを切り取ったような、不思議な臨場感が生まれていた。
このノイズを削ぎ落とす作業は、写真の現像作業にも似ている気がする。
余分なものを取り除くことで、被写体そのものの解像度が、かえって上がっていく。
音の世界にも、同じ原理が働いているのだと、あらためて気づかされた。
ありふれた音が、物語の一部になる

録音した蝉の声や足音は、いずれポッドキャストの素材として使うつもりでいる。
久しぶりに屋外で収録をしてみて思いの外、楽しかった。
特別な機材がなくても、日常に転がっている音を、丁寧にすくい上げることはできる。
録音ボタンを押すという、たったそれだけの行為が、ありふれた街の音を、自分だけの物語の一部へと変えてくれる。
これからも、身近な道具を使いながら、日常の中に眠っている音を、少しずつ拾い集めていきたいな
耳を澄ませば、まだ気づいていない音の風景が、きっとこの街のあちこちに広がっているはずだから。


