
先日、じぶんが運営しているポッドキャストのデータ解析を振り返ってみた
主なユーザー層は45〜59歳の男性が60%
どうやら、おじさんに好まれて聴かれているらしい。
まぁ、わたしもおじさんだしなー。
声のトーンが教えてくれること
収録を終えたあと、自分の声を聴き返すことがある。
その声には、思っていた以上に多くの情報が含まれている。
年齢も、疲れ具合も、その日の心の在り処も。
先日、リスナー層の分析結果を見た。
40代から50代の男性が、思っていたより多くこの声を聴いてくれている。
その数字を見たとき、少し不思議な感覚があった。
自分が想定していた聴き手と、実際の聴き手が違っていたという事実。
勢いではなく、静けさを

30代向けの発信には、独特の勢いがある。
テンポの速さ、断定的な言葉、成長や成功を語る熱量。
そういうものが求められる場所があることは、よくわかる。
けれど、わたし自身は40代を目前にして、その勢いに乗り切れなくなっている自分に気づいていた。
無理に若さのトーンを保とうとすることは、どこか自分を偽っているような感覚があった。
40代から50代の男性たちは、おそらく勢いよりも、共に立ち止まってくれる声を求めているのではないか。
答えを急いで提示するのではなく、迷いや揺らぎをそのまま置いておける、そんな時間を。
ラジオ世代への、静かな親和性
この世代には、ラジオという文化に親しんできた記憶がある。
深夜、ひとりで聴いていたラジオの声。
顔の見えない誰かが、ただ淡々と話しているのを聴くという体験。
そこには、テレビやSNSの映像的な情報とは違う、耳だけで完結する親密さがあった。
ポッドキャストという形式は、その記憶と静かに響き合うのかもしれない。
だとすれば、わたしが目指すべきトーンは、もっとはっきりしてくる。
若々しい勢いではなく、ラジオのパーソナリティのような、落ち着いた等身大の語り。
「おじさん」に向けた、独り言のような声
「おじさんに向けて話す」というのは、少し面白い響きを持つ言葉だ。
けれど、そこには誠実さが必要だと思う。
上から教えるのでも、下から迎合するのでもなく、同じ地平に立って、独り言のように話す。
わたし自身、40代目前という年齢の入り口に立っている。
だから、これは他人事の分析ではなく、自分自身の輪郭を確かめる作業でもある。
若さを演じることをやめたとき、初めて見えてくる自分らしい声がある。
境界線を引くというのは、誰かを排除することではない。
自分がどこに立っているのかを、はっきりさせることなのだと思う。
等身大の声で、これからも

派手さのない、けれど確かな手触りのある言葉を、これからも紡いでいきたい。
深夜のラジオのように、誰かの隣にそっと座るような声で。
年相応であることは、決して後退ではない。
むしろそれは、自分の場所を見つけたということなのだと思う。


