
台風が関東を直撃した日、家族の会社から「出社するように」という連絡が届いた。
台風は、仮面をはがす
沖縄から九州、四国、東海と日本の海沿いをなぞるように勢いを落とさず北上し、そのまま首都圏へ到達した台風だった。
電車は間引き運転、道路は水たまりと強風、ニュースは朝から台風情報一色。
そんな日の朝に、スマートフォンに通知が来る。
「本日は通常通り出社をお願いします」
どうやら、部門長は自分の判断でしっかりと休みにしたらしい。
部下への指示だけ出して本人は休む。そういう話だ
記憶の中の、あのクソ野郎

これを聞いて、昔の職場のことを思い出した。
わたしの上司は、徒歩で出勤できる距離に住んでいた。
雨の日も、台風の日も、雪の日も、なぜか必ず「仮病」か突然の「在宅勤務」に切り替えていた。
でも部下には、シフト通りに出社を強制した。
その一貫性のなさを指摘できる雰囲気は、職場のどこにもなかった。
仕事中に寝ているのを何度か見た。
昼過ぎに黙って帰ることもあった。
それでも部長の座に居続けた。在籍年数だけが長くて、仕事はしない。
でも組織の中で生き残ってきた人間が、肩書きを手にする。
そういう仕組みが、あの職場には確かにあった。
今でも、あれが何だったのかをたまに考える。
単なる個人の怠惰ではなく、組織がそれを許してきた構造の問題だったのだろう、という結論にはなる。
でも、それで救われた人は誰もいなかった。
会社の構造と、国の構造
家族の会社の話を聞きながら、ふと思った。
これは会社の話だけではない、と。
役職のある人間が思いつきでルールを決めて変えていく。説明はない。
他者からの意見を聞く仕組みもない。
現場の声は届かないまま、上から降ってきた指示だけが「正解」になる。
消費税だって、ある日突然、話し合いも説明もないままに変わっていく。
会社の構造と、国の構造が、恐ろしいほど似ている。
日本は民主主義の体裁を取っているけれど、実態はどうだろう。
決定権を持つ人間が、自分に都合のいいルールを粛々と運用していく。
真面目に従っている人間が損をする仕組みが、あちこちに根を張っている。
嵐の日は、パンを焼く

そんなことを考えながら、台風の音を聞いていた。
筋肉痛もあってトレーニングもできないので、わたしはパンを焼くことにした。
(元々、事前に用事があったのでお休みだったのだけど)
牛乳が大量に余っていたので、ミルクロールパンだ。
粉を量り、材料を混ぜ、捏ねる。その間、台風の音はずっとそこにあった。
窓がガタガタと揺れて、雨が叩きつける音が断続的に続く。
でも台所の中は、粉の匂いとイーストの発酵する香りで満ちていた。
嵐の日は、外に出なくていい。家で、好きなことをしていていい。
そんな当たり前の選択が、なぜ「贅沢」に感じられてしまうのだろうか。
安全でいることを選ぶことが、「仕組み」に反するとされてしまう社会。
その歪さを、パンを捏ねながら静かに考えていた。
真面目にルールを守って、シフト通りに出社した人が損をする。
自分勝手に動いた人間が役職に就き続ける。
その構造が、会社にも、社会にも、静かに根を張っている。
変えようとする声は届かず、従う人間だけが消耗していく。
これが今に始まった話ではないのだと、台風の音の中で静かに思った。
だからこそ、自分の場所を守ることに、もっと意識的でいようと思う。
わたしは台所にいた。
台風の音を聞きながら、粉を量り、牛乳を注ぐ。
嵐が外で何を叫んでいても、パン生地はゆっくりと膨らんでいく。



