3年で3回の社名変更。組織という名の「迷宮」で生きること

人事面談の連絡が来たのは、先週のことだった。

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久しぶりの人事面談

定期的にあるものではない。だから呼ばれたとき、少し身構えた。

何か問題があったのか、それとも単なる確認なのか。

結論から言えば、特に何かがあるわけではなかった。

ただ、「最近の状況を確認したい」という名目のものだった。

でも面談の中で、いくつかの事実を改めて聞かされた。

3年で3回、社名が変わる会社

3年間で、社名が3回変わっていた。

あらためて聞くと、やはり異常だと思う。

社名を変えることは、単なるリブランディングではない。

登記の変更、取引先への周知、名刺の刷り直し、各種契約の見直し。

そのたびに組織全体に負荷がかかる。

それを3年間に3回繰り返しているということは、何らかの根本的な不安定さを抱えているということだ。

加えて、移転も2回あった。

オフィスの引っ越しという作業も、組織にとっては小さくない負担だ。

これだけのことが積み重なっていても、社内では誰も特別に騒がない。

「またか」という空気があるだけで、根本的な問いは立ち上がらない。

それが、異常なことの怖さだと思う。

「なぜまた変わるのか」「何が原因なのか」「今後はどうなるのか」。

そういう問いを立てることは、この組織では空気を読まないことに等しいのかもしれない。

問わないこと、従うこと、慣れること。それが生存戦略として機能してしまっている。

気圧の話が、通じなかった

面談の中で、自分の体調について話す場面があった。

「気圧の変化によって頭痛や倦怠感が出ることがある」という話をした。

梅雨の時期は特にそれが強く出るので、コンディション管理が難しいことを伝えた。

相手の反応は「え、そんなことあるんですか」だった。

それで終わった。「大変ですね」でも「なるほど」でもなく、ただの驚きで終わった。

続く言葉もなかった。その沈黙の中で、わたしは何かを悟った。

この人はわたしの話している世界を知らない。

そしてそれは、この組織の中での標準的な反応なのだろう、ということを。

理解してもらうことを期待するのをやめようと、その瞬間に静かに決めた。

期待しなければ、失望もない。そのかわり、自分で自分を守る方法を持ち続ける。

感覚が麻痺することの怖さ

異常な環境に長くいると、人間は慣れる。

変なことが当たり前になる。おかしいはずのことが、普通に見えてくる。

その「慣れ」は生存のための適応でもあるけれど、同時に、感覚を失っていくプロセスでもある。

わたしはこの組織の「外側」にいる感覚を、意識的に保つようにしている。

会社の出来事に完全に飲み込まれない。組織の論理を自分の論理にしない。

それが、ここで働きながらも自分を保つための境界線だ。

人事面談を終えて、帰り道に少し考えた。

この組織は迷宮に似ている。入り口はわかっても、全体の構造が見えない。

でも出口を探すより、迷宮の中でも自分の座標を把握することの方が、今は大切だ。

自分の体調を理解してもらえない孤独感は、確かにある。

でもそれを嘆くより、理解されない前提で自分を守る仕組みを持つことを選ぶ。

境界線は、相手に見えなくていい。自分の内側に静かに引いてあれば、それで機能する。

この組織の中で感覚を失わないために、外の世界との接点を持ち続けることが大切だと思っている。

文章を書き続けること、本を読むこと、身体を動かすこと。

それらが、内側の座標を保つための杭になっている。

迷宮の中でも、自分がどこにいるかを知っていれば、組織に飲み込まれずにいられる。

その地図を持ち続けることが、今のわたしにできる、静かな抵抗だ。

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