
ニュージーランド産のりんごが手に入ったので、アップルパイを焼くことにした。
アップルパイを、焼いた
パイ生地から作る。バターを冷やしながら粉に混ぜ込んで、サクサクのクラストを作る。
フィリングはりんごをシナモンと砂糖で炒めて、甘みと酸味のバランスを見ながら仕上げていく。
一つ一つの工程に時間がかかる。急ぎたくても急げない作業だ。
オーブンから出した瞬間の、こうばしい香り。焼き色がちょうどよく付いた表面。
家族に出すと、一口食べて「これ、お店で買ったやつより美味しい」と言ってくれた。
「お店で買う必要がない」という言葉は普通に嬉しい

「もうお店で買う必要がないね」という言葉が、思ったより深く刺さった。
褒め言葉として受け取ったのはもちろんだが、
その言葉は、もう少し大きな何かを指していた気がする。
外に頼らなくていい、ということだ。
お金を払って誰かに作ってもらわなくても、自分の手で同等以上のものを作れる。
その自立の感覚が、「お店で買う必要がない」という言葉には込められている気がする。
普通に嬉しいもんよね。
この1年間の積み重ね
振り返ると、この1年でずいぶんと変わった。
最初はパン作りだった。酵母のことを少しずつ理解して、生地の感触で発酵の状態を判断できるようになった。
それからケーキ、手作りシロップ、ピクルス、様々な料理のレパートリー。
どれも効率化できない、地道な手仕事の積み重ねだった。
外に出る気力がない日も、鍋をかき混ぜることはできた。
大げさな成果を残さなくても、台所での時間だけは確かに前に進んでいた。
その積み重ねが、今日のアップルパイになった。
手仕事には、失敗の歴史がある。最初に作ったパンは発酵が足りなくてぺたんこだった。
ケーキは何度か分離させた。
でもその失敗一つ一つが、次の精度につながっていった。
うまくいかなかった経験が、手の感触として体に蓄積されていく。少しずつ感覚が研ぎすまれていくような
料理が好きになったのは、いつ頃だったか思い出せない。
でも気がついたら、台所に立つことが一日の中心になっていた。
外の世界で評価されなくても、台所では積み重ねが正直に答えを出してくれる。
それがわたしには心地よかった。
アップルパイは冷めた後も美味しい。翌朝、残りをオーブンで温めて食べながら、りんごとバターの香りを味わう。
少しだけ生活が豊かになったような気がする。
次はパイ生地をもう少し薄く伸ばして、よりサクサクに仕上げることに挑戦したい。
一年後、さらにレベルアップしてるのを想像すると楽しみである。
でも「次はこうしてみよう」と毎回思える時間って、大切だし生きる活力みたいになる
効率化できない積み重ねだけが、残るもの

外の世界では「効率化」が正義になっている。
時短、時短、時短。手間を省いて、早く、安く、大量に。
そういう価値観に囲まれていると、手間をかけることが「無駄」に見えてくる。
でも料理に関して言えば、手間をかけた分だけ確かに何かが上達する。
そして上達したものは、誰にも奪えない財産として自分の中に残る。
誰かに評価されるためではなく、自分の暮らしを豊かにするために続けていく。
その積み重ねが「確かな生活力」になっていた、と気づいた今日が、少し誇らしかった。
完成ではなく、まだ続いている。
その「まだ続いている」という感覚を大切にしていきたいもんだ


