
ブラウザのショートカット一覧からXとnoteを消してみた
パソコンを開くたびに、無意識にクリックしてしまう悪癖から脱却したいなと思った
もはやアイコンだけ見るだけでクリックしたくなる依存の仕組みよ
ブラウザのブックマークバーから、ふたつのアイコンが消えた。
Twitterと、note。
たったそれだけのことなのに、画面が急に静かになった気がした。
これまで、無意識のうちに指がその場所へ伸びていた。
作業の合間に、原稿を書き終えた直後に、ふと集中が切れた瞬間に。
まるで呼吸のように、そこをクリックしていた。
檻の形をした、便利さ

ショートカットというのは、便利さのために存在している。
けれど、便利さは時に、檻の形をしていることがある。
見に行かなくてもいいものを、見に行かせる。
考えなくてもいいことを、考えさせる。
反応の数字を、ただ眺めさせる。
わたしにとってSNSは、もともと発信のための広告ツールだった。
自分の言葉を届けるための、ひとつの入り口。
けれど気づけば、届けるためではなく、確かめるために開くようになっていた。
誰かが読んでくれたか。
誰かが反応してくれたか。
その確認作業が、いつのまにか一日の中に静かに根を張っていた。
もうこれって依存だよね
物理的に断ち切るという選択
思考だけで習慣を変えようとしても、うまくいかないことが多い。
「見ないようにしよう」と決意しても、指はまた同じ場所へ向かう。
だから今回は、環境そのものを変えることにした。
ショートカットを、消す。
ただそれだけの、単純な行動。
けれどその単純さが、思っていた以上に効いた。
指が向かう先がなくなると、そこで一瞬、間ができる。
「あ、今わたしは何かから逃げようとしていたんだ」と気づく間。
その間こそが、これまで持てなかった余白なのだと思う。
静けさの中で聞こえてくるもの
通知の檻から出てみると、最初は少し落ち着かなかった。
情報から切り離された不安のようなものが、胸の奥にわずかに残っていた。
けれど数日経つと、その不安の代わりに、別のものが満ちてきた。
自分の考えを、最後まで追いかける時間。
途中で通知に思考を分断されることのない、まとまった静寂。
広告効果としてのSNSの価値が薄れてきているなら、それに執着する理由はもうない。
手放すことは、失うことではなく、余白を取り戻すことなのだと、今は思える。
檻の外側にある、本当の言葉

檻の外に出て初めて、自分がどれだけ狭い場所で呼吸をしていたのかに気づく。
これからは、確認のためではなく、届けるための言葉を綴っていきたい。
静けさの中でこそ生まれる言葉が、きっとある。


