
ファミマの小籠包が気になってる
誰かの「美味しい」が、心に住み着く

知人から、何気ない会話の中で、そんな言葉を聞いた。
「ファミマの小籠包、美味しいよ」
たったそれだけの一言だったのに、なぜか妙に、心の片隅に住み着いてしまった。
そういえば、ここ数年はコンビニでは料金の支払いぐらいにしか立ち寄らないので、
冷凍コーナーなどをゆっくりと覗いてないんだよね。
まだ見ぬ味を、勝手に想像する

まだ一口も食べていないのに、頭の中では、すでにその味を想像し始めている。(知人の食レポが上手くてさ)
もちもちとした皮の食感だろうか。
それとも、薄皮からじゅわりと溢れ出す、熱々のスープの量が魅力なのだろうか。
本場の小籠包に慣れ親しんでいるわけではないけれど、コンビニという手軽さの中で、どれほどの完成度に仕上げられているのか。
想像すればするほど、期待という名の風船が、少しずつ膨らんでいく。
この、まだ答えを知らない状態こそが、実はとても贅沢な時間なのかもね。
答え合わせをする前の、この宙ぶらりんな高揚感を、もう少し味わっていたい気持ちさえある。
数百円に託す、ささやかな遊び心
よくよく考えてみると、些細な出来事だ。
ただ、コンビニに立ち寄った際に、数百円で買える小さな点心を、一つ手に取るだけの話。
けれど、その些細さの中に、あえて「期待」という要素を乗せてみることに、ちょっとした遊び心を感じるのだから不思議なもんだ。
日常の中の、ごくありふれた買い物。
そこにわずかな期待値を上乗せするだけで、ただの消費が、ちょっとしたイベントへと姿を変えていく。
大げさな幸せを追い求める必要はない。
こうした小さな楽しみを、意図的に日常の中に散りばめていくことこそが、暮らしを豊かにしていくもんだと、ここ最近は感じるようになった。
次にファミマへ寄る日を、心待ちに

実際、まだその小籠包を口にしていない。(後日、食レポ回はあげたい)
次にファミマに立ち寄る機会があれば、迷わず、その冷凍棚に手を伸ばすつもりでいる。
もちもちの皮に、あふれるスープ。
想像していた通りの美味しさに出会えるのか、それとも、想像とは違う驚きが待っているのか。
その答え合わせの瞬間を、今から静かに楽しみにしている。
たった一つの小籠包が、こんなにも心を弾ませてくれるのだから、日常というのは、まだまだ発見に満ちているのだと思う。


