視力を失った世界で、私たちは何を見るのか。ドラマ『SEE』感想

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Apple TV+のドラマ『SEE 暗黒の世界』を、全シーズン見終えた。

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「見えない」世界から始まる物語

設定はシンプルで、衝撃的だ。

数百年後の未来、ウイルスによって人類のほぼ全員が視力を失い、視覚のない世界が「当たり前」になっている。

そこに生まれた、視力を持つ子どもたち。

彼らは異端とされ、迫害される。

最初は「どうやって撮影するのだろう」という興味から見始めた。

でもすぐに、それを超えた何かに引き込まれた。

圧倒的な「見せ方」の力

目が見えないという演技が凄まじい

このドラマが凄いのは、「視力のない世界」を、映像という視覚メディアで表現していることだ。

登場人物たちは目が見えない。

なのに、戦闘シーンは美しく、自然の描写は息をのむほど豊かだ。

川の音で距離を測り、風の向きで敵の位置を知る。

触覚で地形を把握し、嗅覚で人の気配を感じる。

見えない人々が、音と触覚と嗅覚で世界を把握している様子が丁寧に描かれている。

彼らの世界には、わたしたちが普段使っていない感覚が、驚くほど精密に発達している。

演技もすごい。

視線を合わせずに「見ている」表現が、俳優たちによって見事に成立している。

「視覚」という、ノイズ

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見ながら気がついたことがある。

わたしたちは毎日、どれほど膨大な「視覚情報」の中に生きているか、ということだ。

スマートフォンの画面、街の広告、SNSのタイムライン、テレビ、パソコン、人の顔、文字、色。

それらが絶え間なく流れ込んでくる。『SEE』の登場人物たちは、そのノイズを持たない。

だからこそ、残りの感覚が鋭く研ぎ澄まされている。

わたしたちは、見えすぎているのかもしれない。

見えるものが多すぎて、本当に大切なものを見失っていることが、あるのかもしれない。

「見る」ことに慣れすぎて、「感じる」ことが鈍くなっていることが。

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「感じる力」を、取り戻す

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このドラマを見てから、スマートフォンをしまって、目を閉じてみることが増えた。

耳を澄ませると、遠くで鳥が鳴いている。風が木を揺らしている。

冷蔵庫がかすかに唸っている。いつもそこにある音なのに、画面を見ているときは聴こえていなかった。

視覚を少し手放すと、別の何かが開いてくる。

見えない世界を生きる人々の物語が、逆説的に、見えている世界の豊かさを教えてくれた。

そのことが、作品を見終えた後もずっと残っている。

フィクションが現実の感覚を変えることがある。

これはそういう作品だった。

良い物語というのは、見終えた後も、その人の中で生き続ける。

登場人物の言葉が、ふとした瞬間に甦ってくる。

景色の見方が、少し変わる。

『SEE』の登場人物たちが見えない世界を丁寧に生きている姿が、わたしに「ちゃんと感じているか」と問いかけてくる。

スマートフォンを伏せて、目を閉じて、耳だけで世界を感じてみる。

そういう時間を、意識的に作るようになった。

視覚に頼りすぎているわたしたちにとって、「見ない時間」は意識して作らなければ生まれない。

このドラマがそのことを教えてくれた。毎日5分でも、画面から離れて、ただ音を聴く時間を持つ。

それだけで一日の質が変わる気がする。

『SEE』の登場人物たちは、見えない世界で豊かに生きていた。

わたしたちは、見えすぎている世界で、どれだけ豊かに生きられているだろうか。

このドラマは全3シーズンあって、最終シーズンは特に濃密だった。

完走した後、しばらく余韻の中にいた。

良い作品を見終えたときの、あの独特の空虚感と充足感が混ざった感覚。

何かが終わり、何かが始まる感じ。

その余白をすぐに次の何かで埋めようとせず、ただ座って感じていた。

そういう時間を持てることが、豊かさだとわたしは思っている。

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