「寛解」という名の、震える平穏

もう、このバスに乗って病院に通うのも、
かれこれ30年以上なのかぁ。

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3ヶ月ぶりの病院へ

腎臓内科の予約は午前中だった。

採血を終えて、待合室の椅子に座りながら、スマートフォンをいじる気にもなれなかった。

3ヶ月前の検査のことを思い出していた。

あのとき先生に言われたこと、帰り道に感じた不安、その夜眠れなかったこと。


数値が悪化していたら、どうなるのだろう。

そういうことを、順番を待ちながら考えていた。

待合室には似たような顔をした人たちがいる。

それぞれ、それぞれの不安を抱えてここに来ている。

その静けさが、妙に心に沁みた。

「問題ありません」という言葉

呼ばれて診察室に入ると、先生がデータを見ながら言った。


「前回と比べて、問題ありません。安定しています」


ほっとした。


体の力が、すこし抜けた。良かった、と思った。それは本当のことだ。

数値が安定しているということは、今のところ悪化していないということだ。

日々の生活に気をつけてきたことが、無駄ではなかったということかもしれない。


診察室を出て、廊下を歩きながら、ホッとする。変な緊張感が緩む。

ずっと張り詰めていたものが、そこで少しほどけた。

それでも、恐怖は消えない

帰りの電車の中で、また考えていた。


次の6ヶ月後はどうだろう。また安定しているだろうか。

今回は大丈夫だったけれど、次は?
その「次は」が、頭の隅から離れない。


病気と付き合っている人は、みんな知っていると思う。

「寛解」という言葉の重さを。

「問題なし」という言葉は、永遠の保証ではない。

今日の数値が良くても、来月のことはわからない。

その不確かさの中で、毎日を生きることの難しさを。


恐怖をなくすことはできない。それはもう、わかっている。

震える平穏の中で、生きる


今回の検査結果の安堵を、ゆっくりと受け取る。

次の6ヶ月を今日から心配しても、仕方ないしな


寛解という言葉は、完治とは違う。嵐が止んでいる状態だ。

いつまた吹くかはわからない。でも今は、止んでいる。その静けさの中にいる。


帰り道、スーパーで好きな惣菜を買った。

今日は、少しだけ自分を労わりたかった。

定期検診を続けることは、未来への約束だと思っている。

体と向き合う時間を持ち続けること。

それが今のわたしにできる、一番の自分への誠実さだ。

次の検査まで、また丁寧に過ごしていこうと思う。

震える平穏の中で生きることを、今日も選んだ。

それで十分だと、自分に言い聞かせながら、家の鍵を開けた。


同じような不安を抱えている人が、この世界にどれだけいるだろうと思う。

慢性疾患を持ちながら働いている人。

定期的に病院へ通いながら、毎回「今度はどうか」と緊張している人。

検査結果を待つ時間の長さを知っている人。


ただ、同じ場所に立っている人がいる

不安は消えない。でも今日を生きる。

それだけのことを、繰り返している。


検査結果が良かった日の惣菜は、いつもよりすこし美味しかった。

たぶん気のせいだけれど、気のせいでもよかった。


病気を持ちながら生きることは、「いつか終わる可能性」と常に隣り合わせで暮らすことだ。

それは誰でも同じだと言う人もいるけれど、定期的に数値で突きつけられると、やはり少し違う感触がある。

でも今日は良かった。

それだけを、今日の分として受け取る。

明日の心配は明日でいい。

今夜だけは、惣菜の美味しさを味わうことに集中する。

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