30冊という贅沢|物語の終わりを見届けるための、期限つきの時間

やっぱり漫画は紙で読むのが一番なんだよね

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二年ぶりの棚の前で

ツタヤの棚の前に立つのは、数年だ。

コミックレンタルという行為そのものを、すっかり忘れかけていた気がする。

けれど棚に並ぶ背表紙を眺めていると、あの独特の高揚感が、じわりと胸の奥から蘇ってきた。

続きが気になっていた作品。

積読のまま止まっていたシリーズ。

そうした物語たちが、静かにわたしを待っていてくれたような気がした。

気づけば、選び終えた漫画は三十冊にもなっていた。

両手で抱えるにはあまりに重たいその量に、少しだけたじろぎながらも、どこか誇らしいような気持ちがあった。
(おじさんが漫画を大量に借りる様は側から見ると痛々しいのだけど)

これから過ごす時間の、豊かさを先取りしたような感覚だった。

借りるという、期限つきの豊かさ

三十冊という数字を前にすると、普段の読書とは違う緊張感が生まれる。

レンタルには、必ず期限がある。

その限られた時間の中で、これだけの物語を読み切らなければならない。

一見、忙しなさを感じさせるようなその制約が、不思議と読書という行為を、より濃密なものに変えてくれる。

所有するという安心感がないぶん、今この瞬間、目の前の物語に集中しようという気持ちが自然と強くなる。

積読という言葉があるように、手元に置いておくと、いつでも読めるという油断が生まれてしまうことがある。

けれど借りたものには、それが許されない。

読むなら、今しかない。

その緊張感こそが、物語に没頭する秘訣だと個人的に思ってる

物語の終わりに、立ち会うということ

今回借りた作品の中には、長らく続編を追いかけていたシリーズも含まれていた。

その一つを、ようやく最終巻まで読み終えることができた。

長い旅路の果てに用意された結末を、静かに見届ける時間。

それは、単なる娯楽を超えた、ある種の儀式のようにも感じられた。

物語が終わるということは、寂しさを伴う。

けれど同時に、その物語と過ごしてきた時間そのものに、区切りをつけてくれる行為でもある。

途中で止まったままの物語をいくつも抱えていると、心のどこかに、小さな宿題が積み重なっていくような感覚がある。

一つの物語を最後まで見届けることは、その宿題を一つ、静かに終わらせることでもあるのだと思う。

読み終えたあとの、あの独特の余韻。

満足感と、少しの喪失感が入り混じったその感覚を、久しぶりに味わうことができた。

また、棚の前に立つ日まで

三十冊の物語を読み終えるころには、部屋の中の空気が、少しだけ変わっていたような気がする。

積み上がっていた漫画の山を返却し終えたとき、達成感とともに、小さな寂しさもあった。

けれどその寂しさは、決して嫌なものではない。

むしろ、それだけ深く物語の世界に浸ることができた証のように思える。

所有することにこだわらず、期限という制約の中で物語と向き合う。

そんな贅沢な時間の使い方が、自分には合っているのかもしれない。

また積読ならぬ「積みたい物語」が溜まったころ、わたしはきっと、あの棚の前に立っているだろう。

そのときにはまた、新しい物語の終わりを、静かに見届けることになるのだと思う。

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