
健康的に痩せるには、ご飯を食べるべし
そんな言葉を信じて、ご飯を食べ続ける生活を1年間ほど続けてたら、太ったよ。
まいったね、こりゃ
白い湯気の向こうに
朝の食卓に、炊きたての白米が湯気を立てている。
そのひと粒ひと粒が、光を受けて小さく輝いている。
美しい、と思う。
同時に、わたしの中で小さな声がする。
「今日もまた、これを食べるのか」と。
筋肉をつけるためには、炭水化物が要る。
トレーナーも、雑誌も、SNSの発信者たちも、口を揃えてそう言う。
正しいのだろう、きっと。
多くの人の身体にとっては。
けれど、わたしの身体にとっては、どうだろう?
10回目の、静かな不一致

数えてみれば、これで10回目になる。
「筋肉のために米を食べましょう」という言葉を信じて、しばらく続けてみる。
体重は落ちない。
むしろ、脂肪はゆっくりと、確実に、居座る場所を広げていく。
わたしの身体は、燃焼が遅い。
これは長年の経験から、もう疑いようのない事実になっている。
それでも、世間の「正解」を目にするたびに、また試してみたくなる。
自分の実感よりも、多くの人が支持する言葉のほうを、信じたくなる。
ネットや世間の嘘に踊らされてるしまうのである、何度も。
境界線を、自分の内側に引き直す
けれど、今回はもう気づいてしまった。
一致しないことを、10回も繰り返す必要はない。
これは失敗ではなく、データだ。
わたしの身体が、静かに、根気強く教えてくれているデータ。
「世間の正解」と「わたしの正解」の間には、境界線がある。
その線は、悪いものではない。
ただ、そこに「違い」があるというだけの話だ。
3年前、わたしは自分なりのルーティンに辿り着いていた。
炭水化物を控えめにし、身体の声を聞きながら調整する、地味だけれど確かな方法。
なぜあの頃から離れてしまったのだろう。
きっと、新しい情報に触れるたびに、自分の答えを一旦手放してしまう癖があるのだと思う。
湯気が消えたあとに

食卓の湯気は、やがて消えていく。
けれど、そこにあった白米の存在は、わたしに大切な問いを残してくれた。
「誰の正解を、生きているのか」という問い。
世間の声は、これからも変わらず聞こえてくるだろう。
新しい研究、新しい方法論、新しい「これが正しい」という言葉たち。
それらを否定する必要はない。
ただ、わたしは自分の身体という、たった一つの現場を持っている。
そこで得られた10回分のデータを、今度こそ大切に扱おうと思う。
3年前に見つけた、あの静かなルーティンへ。
急がず、焦らず、戻っていく。
正解は一つではない。
わたしの正解は、わたしの身体の中にしか、ない。
そのことを、今朝の湯気が、そっと教えてくれた気がする。


