声で話す、ということ。「夜の独り言」を始めた理由

ブログを書いていると、文章では届かないものがある、と感じることがある。

目次

なぜ、声で話そうと思ったのか

温度感、というか、ニュアンスというか。書き言葉は整理されすぎていて、その瞬間の荒さや迷いが消えてしまう。

もう少しそのままの状態で何かを表現したい、と思ったのが、ポッドキャストを始めたきっかけだ。

番組名は「夜の独り言」にした。ラジオ的な距離感を大切にしたかったから、夜という時間帯をイメージに据えた。

眠れない夜に、誰かが手探りで再生してくれる番組。

そういうものにしたかった。

文章を書くとき、わたしはどこか「整えよう」とする力が働く。

でも声で話すときは、その力が働きにくい。言葉がそのまま出てくる。

整っていなくていい、という解放感が、収録を続けられる理由の一つだと思っている。

台本を、書かない

収録前にやることは、メモ帳に数行書くだけだ。

「今日話したいこと」を3つくらい書き出して、順番を決める。それだけ。あとはマイクの前に座って、話し始める。

うまく言えなかった言葉は、そのまま残す。

長い間があっても、カットしないことが多い。

その「残す」という判断が、声の記録としての誠実さだと思っている。

文章は後から直せる。でも声は、その瞬間の状態がそのまま入る。

言い淀みも、笑いも、ため息も、全部その日のわたしを映している。

それを編集で消してしまったら、ラジオ的な温度感が失われる気がする。

ポッドキャストを始める前は、「うまく話せないと恥ずかしい」という気持ちがあった。

でも実際に聴き返してみると、うまく話せていない部分の方が、なぜか聴いていて安心できる。

完璧に整った声より、少し詰まった声の方が、人間らしい。

そのことが、続けるうちにわかってきた。

話すことで、気づくこと

不思議なことに、話しながら初めて気づくことがある。

「あ、わたしはこのことをこんなふうに感じていたのか」と、喋りながら発見する瞬間がある。

文章を書くときと似ているけれど、少し違う。

書くときは立ち止まって考えられるけれど、話すときは流れを止めずに続けなければいけない。

その制約の中で、思考がむき出しになる。

ポッドキャストを聴いてくれる人が「その話し方、わかる」と感じてくれるとしたら、それはわたしが喋りながら考えているリアルタイムの思考を、そのまま受け取ってくれているということだと思う。

声で話すことの面白さは、自分でも予測できない方向に話が転がることだ。

書くときにはたどり着かなかった結論に、喋りながら辿り着く。

その偶然性が、ポッドキャストという媒体の醍醐味だと思っている。

聴き手にとっても、予測できない展開が生まれるから、最後まで聴いてしまう。

それがポッドキャストという媒体が持つ、独特の引力だと聴き手として長く感じてきた。

深夜の、一対一

聴いてくれる人の数は多くない。

でも、それでいいと思っている。深夜ラジオが持つ温度感は、「多くの人に届ける」ことではなく、「今夜たまたまここにいる誰かと、一対一で話す」ことにある。

聴いている人が千人でも、わたしはその中の一人に向けて話しているつもりでいる。

声は、文章よりも直接的に届く場合がある。

論理より先に、温度が届く。深夜に誰かの耳に静かに届く声でありたい。

それがこの番組を続ける、根っこにある理由だ。

ポッドキャストを聴くことが好きな人は、きっとこの感覚を知っている。

お気に入りの番組の声が、日常の隙間に入り込んでいく感覚。

「夜の独り言」も、誰かの日常の隙間にそっと入れる番組でありたい。

聴き続けてくれる人がいる限り、話し続ける。

目次