
4年後、何をしてるのだろうか
なんとなく、調べてみた完成予定
ふと、川崎に新しいスタジアムができるらしい、という話を思い出した。
そういえば、あれはいつ頃完成するのだったか。
軽い気持ちで検索してみると、表示された文字に、思わず目を止めた。
完成予定は、2030年。
まだまだ先なのだろうとは思っていたけれど、想像していたよりも少しだけ先の未来だった。
数字を見つめながら、頭の中で、今この瞬間との距離を測ってみる。
4年後。
割とあっという間な気がするな。オリンピック1回分か
「数年後」という、奇妙な感覚

インターネットの世界に浸っていると、時間の感覚が、どうしても短く、せわしないものになっていく。
昨日の話題は、今日にはもう古い。
今週流行っていたものが、来週には忘れ去られている。
そうした目まぐるしい移り変わりの中に身を置いていると、「数年後」という単位そのものが、なんだか現実味の薄いもののように感じられてくる。
けれど、スタジアムという巨大な建築物は、そうした流行りの速度とは、まったく違う時間軸で存在している。
設計され、土台が組まれ、少しずつ形になっていく。
その過程には、ネットの世界では考えられないほどの、長い年月が必要とされる。
その事実に触れたとき、なんとも言えない、不思議な感覚に包まれた。
4年後、わたしはどこにいるのだろう
完成予定の年を、あらためて指折り数えてみる。
その頃、自分は一体、どこで、何をしているのだろう。
今抱えている悩みは、その頃にはもう解決しているのだろうか。
それとも、また新しい悩みを抱えて、日々を過ごしているのだろうか。
想像しようとしても、はっきりとした輪郭は、なかなか浮かんでこない。
けれど、その分からなさそのものが、なぜか心地よく感じられた。
数年先の自分を、明確に思い描けないということは、裏を返せば、まだ何色にも染まっていない
真っ白な時間が、その分だけ残されている。とも言える気がする
焦りを、少しだけ和らげてくれるもの
日々の暮らしの中では、どうしても、目の前の小さな悩みに、意識が集中してしまいがちなんだよね。
今日の体調。
今週の予定。
来月までに片付けたい用事。
そうした近い未来ばかりを見つめていると、視野は自然と狭くなり、焦りにも似た感覚が、じわじわと積もっていく。
けれど、2030年という、少しだけ先の完成予定に思いを馳せてみると、その狭まっていた視野が、ふっと広がっていくような感覚がある
今悩んでいることの多くは、あの巨大な建築物が完成する頃には、きっと遠い記憶になっているだろう。
そう考えるだけで、目の前の焦りが、ほんの少しだけ、軽くなっていく気がする。
ゆっくりと、形になっていくものを信じて

まだ何もない場所に、少しずつ鉄骨が組まれ、やがて大きなスタジアムが姿を現していく。
その過程を、実際にこの目で見ることは、今はまだできないのだけど。
けれど、確かにその未来は、少しずつ、着実に近づいてきている。
じぶん自身の暮らしも、きっと同じなのだと思う。
今はまだ形になっていない何かが、これから先の年月をかけて、少しずつ姿を現していくのかもしれない。
焦らず、急がず。
遠い未来の完成予想図を、時折ぼんやりと思い描きながら、今日という日を、また静かに積み重ねていきたいね。


