
ダブル台風、
連続して発生する地震、
線状降水帯、
30度を平気で超えてくる夏
なんか、改めて日本って5月〜10月って住みづらい国だよね
こんなに災害が毎年発生してるのに、平気な顔して慣れてしまう日本人って、やっぱりちょっと変わってるよな
二重の不穏
窓の外の風が、いつもと違う唸り方をしている。
ダブル台風が近づいているという報道と、昨夜からの小さな地震。
ふたつの不穏さが重なると、心のどこかに、うっすらとした緊張が張りつめる。
気圧の変化なのか、それとも情報の重なりのせいなのか。
理由ははっきりしないまま、ただ胸の奥がざわついている。
世界が騒がしいとき

こういう夜は、頭の中の情報量が普段より増える。
避難情報、交通機関の乱れ、SNSに流れる不安の声。
すべてが悪い意図を持っているわけではないのに、それらが束になって届くと、静けさが遠のいていく。
外の世界が騒がしいとき、自分の内側まで一緒に騒がしくなってしまうことがある。
その感覚に、これまで何度も戸惑ってきた。
敏感であることは、悪いことではないはずなのに、そのぶん疲れやすいのも事実だ。
静かにコンテンツに向き合う
そんな夜、わたしがすることは決まっている。
小さな灯りをひとつ点けて、静かなコンテンツに向き合うこと。
ポッドキャストの編集をしたり、文章を綴ったり、ただ音楽を作ってみたり。
外の騒がしさに対抗するのではなく、その隣に、静かな場所をひとつ作っておく。
そうすることで、不安をゼロにはできなくても、心が完全に持っていかれることは防げるような気がしている。
アトリエという場所は、もともとそのために存在しているのかもしれない。
世界がどれだけ揺れても、自分の中心にひとつ、灯を保っておくための場所として。
中心に立ち返るということ
不穏な予感は、消そうとすればするほど、かえって大きくなることがある。
だから今夜は、消そうとするのをやめてみる。
代わりに、その予感をそっと横に置きながら、いつも通り手を動かす。
台風も、地震も、わたしの力でどうにかできるものではない。
けれど、自分の中心に立ち返ることだけは、いつでもできる。
灯りの下で紡ぐ言葉は、いつもより少しだけ、静かで丁寧なものになる気がする。
嵐の夜にこそ

嵐の夜は、いつか過ぎていく。
地面の揺れも、いつかは収まる。
けれど、その夜のうちに何を感じ、どう過ごしたかは、静かに自分の中に残っていく。
不安を否定せず、かといって飲み込まれもせず、ただアトリエの灯をともし続けること。
それが、こんな夜のわたしなりの過ごし方。


