
都会の人の多さに、いいかげんうんざりである。
溢れかえる人で、どこもかしこも息苦しいと感じるようになってきてるんだよね、
ここ数年
誰かの言葉が、輪郭を与えてくれた
ある日、聴いていたポッドキャストの中で、ある言葉に出会った。
「東京が疲れるのは、人が冷たいからではない」
その先に続く話を聞きながら、ずっと漠然と抱えていた違和感が、急に輪郭を持ち始めるのを感じた。
そうだ、これだ。
冷たさの問題ではない。
単純に、人が多すぎるのだ。
この街は、もうとっくに、キャパシティの限界を超えてしまっていると思う
これまで、東京での暮らしにくさを、うまく言語化できずにいた。
けれど誰かが代わりに言葉にしてくれたことで、自分の中にあった感覚が、ようやくはっきりとした形を持ち始めた。

人混みに、削られていく日々

思えば、ここ数年、街を歩くたびに、じわじわと消耗している自分がいた。
駅のホームを埋め尽くす人の波。
すれ違うだけで神経をすり減らすような、雑踏の密度。
以前は、これが都会の当たり前の風景だと、特に疑問を持たずに受け入れていた。
けれど、少しずつ、その当たり前が、身体に堪えるようになっていった。
人混みを避けるルートを、無意識に選ぶようになる。
人の少ない時間帯を、あらかじめ調べてから外出するようになる。
そうした小さな工夫を重ねながら暮らす日々の中で、ふと思うようになった。
これほどまでに人を避けることに神経を使い続けてまで、この街に住み続ける意味が、自分にはあるのだろうか?
見え始めた、脱出という選択肢
そんな中、思いがけない流れが、静かに動き始めていた。
具体的な移住という選択肢が、現実味を帯びて見え始めてきたのだ。
その話が浮上したとき、真っ先に湧き上がってきたのは、率直な喜びだった。
いよいよ、この人混みから離れられるかもしれない。
長年抱えていた息苦しさから、解放される日が来るかもしれない。
そう思うと、胸の奥が、久しぶりに軽くなるような感覚があった。

期待の裏に潜む、小さな不安
けれど同時に、心の片隅には、別の感情も静かに存在している。
まだ何も、確定しているわけではないし
移住という選択が、本当に自分にとって正しい道なのか。
新しい環境に、うまく馴染むことができるのか。
そうした問いが、期待の合間に、ふと顔を出す。
期待と不安。
その二つの感情が、今のわたしの中で、絶えず入り混じっている。
どちらか一方だけを選ぶことはできず、ただその両方を抱えたまま、日々を過ごしている
これは、逃げではない
かつてのわたしなら、この「離れたい」という気持ちを、どこかで後ろめたく感じていたかもしれない。
環境に適応できない自分を、弱さの証のように捉えていたかもしれない。
けれど今は、少し違う見方ができるようになっている。
心と身体が、これ以上この街のノイズに耐えられないと発しているのなら、逃げたっていいんじゃないかな
自分にとって適切な場所を選び直すという、必然的な変化の合図なのだと思う。
環境と自分の相性を見極め、合わない場所からは、静かに離れる勇気を持つこと。
それはこれまでも、様々な形で綴ってきた、境界線を引くという行為の、一つの延長線上にあるのだと思う。
まだ見ぬ未来へ、静かに向き合う

移住という話が、実際にどう転がっていくのか、今はまだ分からない。
けれど、この不確かな未来に対して、焦って結論を急ぐ必要はない。
期待と不安を、両方とも大切に抱えながら、ゆっくりとこの先の流れを見守っていきたい。
もしこの先、本当に新しい場所へと移り住むことになったとしても、それは新しい境界線を、自分の手で丁寧に引き直す、一つの大切な機会になるはずだから。


