
各種SNSで見かけるネガティブなコメントについて
そもそも、なぜ投稿内容に対してネガティブなコメントを書き込む人が一定数存在するのか。この疑問を昔から抱いています。
投稿内容は、YouTubeの動画であれ、ブログの記事であれ、XやInstagramの投稿であれ、何かしらの反応があること自体は歓迎すべきことです。
しかし、コメントを受け取った側が明らかに心にダメージを負うような言葉を、平気で書き込む人がいるのは事実です。
なぜ、わざわざ時間と手間をかけて、そのようなネガティブなコメントを書くのだろうか?
推測にはなりますが、「投稿内容がその人にとって好ましくなかった」ために、感情に任せて強い言葉で否定してしまうパターンがあるでしょう。
しかし、そうではないパターンも存在するはずです。
それは、たまたま通りすがりにその投稿を見た人が、その日の機嫌が悪かったり、むしゃくしゃしていたりしたときです。
つまり、単なる感情の掃き溜めとして、たまたま見かけた動画や記事に少しでも気に障るところがあったという、それだけの理由で、自分の感情を思いのままに乗せてしまう。
そして、投稿者の人格否定のような言葉や、「やめろ」「下手だ」といったネガティブな言葉を吐き散らかして去っていく、という人がいるのではないかと感じています。
実際のところ、コメントの裏側には様々な理由があるでしょう。
コメントが投稿者のモチベーションに与える影響
ネット上で何かを投稿する側からすると、コメント次第でモチベーションは大きく影響を受けてしまいます。
今さらですが、SNS黎明期からブログが普及し始めた頃、コメント機能はたしかに存在しましたが、書き込まれることは稀で、正直「おまけ」のようなものでした。
当時は、読んだ人がちょっとした反応を残せる程度のものでした。
いつしかコメントは、投稿者に対してその内容に関して意見を書き込むという形に変わっていきました。
本来、これは投稿者が孤独を感じることなく、視聴者や読者の存在を意識し、モチベーションに繋がるきっかけとして機能していたはずです。
ですが、ネガティブなコメントが書かれるようになってくると、コメント機能がモチベーションに良い影響を与えているとは言い難い状況になってきます。
コメント機能だけでなく、「いいね」や「スキ」といった評価機能も同様です。
個人的な意見ですが、これらの評価機能は、投稿者側からすると正直「なくてもいい機能」ではないかと感じています。
これがあってもなくても、投稿自体はできますし、モチベーションに繋がるかというと、微妙なところです。
結局、視聴者や読者からの反応は欲しい。
これは投稿者として誰もが思うことです。
しかし、ネガティブな反応は欲しくない。
これが本音でしょう。
ネット上で発信活動をしている人たちは皆、この矛盾を抱えながら、日々活動しているのではないでしょうか。
不要なコメントについて
私個人としては、「こういうコメントはいらない」と感じるものがあります。
- 投稿内容をそもそも読んでいない、見ていないようなコメント。
- 投稿内容とは全く関係のないコメント。(上記と重複しますが、純粋にノイズです。)
- 宣伝やアピール目的のコメント(スパム的なもの)。コメントした人自身のサービスや投稿に誘導するためだけに使われるものです。
不要なコメントが残す後始末
不要な、あるいは不快なコメントを受け取った後の「後始末」に、私たちは多くの精神的なエネルギーを費やしてしまいます。
まず、不快なコメントに対して返信するということ自体が疲れる作業です。
しかし、返信する人と返信しない人を区別してしまうと、他の閲覧者から「不公平だ」と見られてしまうのではないか、と気にしてしまうのです。
では、不快なネガティブコメントを非表示にしたり、削除したりする行動をとればいいかというと、それもまた「傲慢だ」「失礼だ」と誤解されるのではないか、と。ここまで考えてしまうのです。
本当に、こういう扱いに困るコメントは、後始末に窮します。
そして、このようなコメントを書く人は、受け取った側がどれほどの気持ちでそのコメントを読み、どう対応すべきか悩むかということまで、想像していないのだろうと思います。
これが、正直なところ「迷惑」だと感じる点です。
コメント機能の持つ矛盾
本来、コメント機能は「嬉しい」ものであるはずでした。しかし、今となっては、私たち投稿者にとって「扱いに悩む」原因となってしまうのです。
ご存知の通り、何かしらのトラブルに繋がる原因は、多くの場合、コメント欄から発生します。
コメント上での問題や、荒れが発生したとき、管理者側である投稿者がアクションを起こすと、それに対してまた火が大きくなることがあります。
また、他の読者がそのコメントに絡んで揉めるということも起きます。
コメント欄が荒れると、投稿者側からすれば、「こんなことが起きて欲しくて投稿したのではないのに」と悩み、コメント欄そのものが「悩みの種」になってしまうのです。
本当に、この「投稿者の視点」まで考えてコメントを書く人がどれだけいるのだろうかと思います。
私にとっての「良いコメント」とは
最後に、少なくとも私にとって「コメント」とは何かについて考えたいと思います。
これはコミュニケーションだと捉えていますが、少し大げさかもしれません。
私にとっての「良いコメント」とは、その文面から「誠意」が感じられるコメントです。
投稿者のことを思って書いてくれているコメントは、素直に「あり」だと思います。
良いコメントの定義は人によって受け取り方が異なりますが、少なくとも私の主観では、「コメントを受け取った人が喜んでくれるといいな」という意図で書かれたコメントは、純粋に「良いコメント」だと感じます。
それは必ずしも良い言葉で書かれている必要はありませんが、何かプラスの方向に働く内容であってほしいと願います。
そして、単なる感想であっても構いません。
凝った文章でなくてもいいから、「投稿内容をきちんと読み込んだことが伝わる」コメントだと、受け取った側としては心がほっとし、ジーンとします。
「ああ、ちゃんと中身を見てくれたんだな」と感じるからです。
これが、いわゆるコミュニケーション的なところでしょう。
そして、書き込んだ人自身の率直な言葉、その人自身から出てきた言葉であれば、なおのこと嬉しいものです。
反論であっても、建設的な意見であっても、単純にその人が素直に思ったことを書き込んでくれたらいい。
ただ、その「素直」が、単純な悪口になってしまうようなコメントは、控えてほしいというのが本音です。
まとめ
今回、ネット上での投稿に関していただいたコメントについて思うところを語りましたが、やはり「難しい」の一言に尽きます。
ネット上のやり取り、コメントというものが、これほどまでに取り扱いが難しく、この機能が本当に必要なのだろうか、とふと立ち止まって考えてしまいます。
ブログやnote、YouTube、ポッドキャストに投稿している人々は、誰もが一度は「このよくわからないコメントは何だろう?」「正論めいた悪口ではないか」といった言葉に直面し、どうすべきか悩んでいるのではないでしょうか。
最後まで読んでくださった方、如何でしたでしょうか?
皆様が思うコメント機能に関しての感想を、静かにお送りいただけたら幸いです。



