
ある夜、ふとYouTubeを開いたら、懐かしい声が聴こえてきた。
偶然の、再会
数年前によく聴いていたポッドキャスターが、生配信をしていた。
チャンネルの存在を忘れていたわけではない。
ただ、いつの間にか聴かなくなっていた。
生活のリズムが変わり、聴く習慣が途切れ、そのままになっていた。
画面の中で、その人は変わらず喋っていた。
声のトーンも、話し方の癖も、以前と同じだった。懐かしいと思った。
それと同時に、続けていたんだ、とも思った。
インターネットの、人の流れ

インターネットという場所は、人の入れ替わりが激しい。
毎日誰かが現れて、毎日誰かが消えていく。
バズって一気に有名になる人もいれば、静かに続けている人もいる。
突然更新が止まる人もいれば、何年かぶりに戻ってくる人もいる。
この流れは止められない。
誰もが自分の事情と、自分のタイミングで、この海を泳いでいる。
続けることが偉いのかどうか、わたしはよくわからない。
続けることよりも、自分のペースを守ることの方が大事な気がするし、
無理に泳ぎ続けることで、好きだったものを嫌いになってしまうことの方が、ずっとつらいと思う。
「冬眠」という、選択肢
そのポッドキャスターは、一度活動を休止していたらしかった。
でも戻ってきていた。コメント欄には、「おかえり」という言葉が並んでいた。
それを読んで、少し目が潤んだ。
インターネットには「冬眠」という選択肢があるのだと、改めて思った。
消えてしまわなくていい。完全にやめなくていい。
しばらく潜って、また戻ってくる。
それが許される場所でもある、ここは。
待っていてくれる人が、どこかにいる。
そのことを知りながら続けることは、力になる。
自分のペースを、守ること

毎日更新しなければという焦りを、わたしも感じることがある。
誰かと比べて更新頻度が少ないことへの後ろめたさ。「また間が空いてしまった」という小さな罪悪感。
でも、その生配信を聴きながら、そんなものは手放していいと思えた。
続けることに価値があると言う人もいる。
でも「自分のペースで続けること」の方が、長い目で見ればずっと大切だ。
急いで消耗して辞めてしまうより、ゆっくりと、細く、長く続ける方がいい。
インターネットの海は、泳がなくてもいい日がある。
岸で休んでいれば、また泳ぎたくなる日が来る。
その人の声を聴きながら、自分の場所を続けていこうと思った夜だった。
インターネットの良さは、完璧でなくても場所を持てることだと思う。
資本も、組織も、肩書きも必要ない。
ただ、書き続けること、声を出し続けることで、その場所は存在し続ける。
誰かが「おかえり」と言ってくれる場所を持てることは、豊かなことだ。
わたしも当サイトを、そういう場所にしたいと思っている。長く休んでも、また戻れる場所。
そして読んでいる誰かにとっても、いつ来ても静かに灯がついている、そんな場所に。
インターネットで誰かの声を聴くことは、孤独を紛らわせることでもなく、時間つぶしでもなく、同じ時代を生きている人の息遣いを感じることだとわたしは思っている。
画面の向こうに人がいる。
その実感が、夜の静けさをやわらかくしてくれる。
このアトリエの文章も、誰かの夜にそっと届いていたらいい、と思いながら今日も書いている。



