「静寂」の最終日。情報を遮断して見えた、心の輪郭

SNSデトックスをして、
1週間が経った。

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ノイズが消えた世界で

SNSのアプリをすべてホーム画面から消して、通知をオフにして過ごした7日間。

始める前は「そんなに劇的な変化はないだろう」と思っていた。

毎日大量のコンテンツを消費しているわけでもないし、依存しているほどではないと思っていたから。

でも実際にやってみると、いかに自分がスマートフォンを「なんとなく」開いていたかが見えてきた。

大げさなことは何もしていない。

ただ、スマートフォンを開いても、吸い込まれる場所がなかった、というだけのことだ。
最初の2日間は、手持ち無沙汰だった。


何かの合間に、反射的に画面を開こうとする自分がいた。

スクロールするものがない、確認するものがない。

その感覚は、思ったよりも居心地が悪かった。

自分がいかに「何かを見ていること」を習慣にしていたかを、その空白が教えてくれた。

でも3日目を過ぎたあたりから、何かが変わってきた。

静かになった頭の中

夜、ベッドに入ったとき、頭がすっと静かになった。


以前は、眠る直前までSNSを眺めていた。誰かの投稿、誰かの意見、誰かの生活。

それらが頭の中でぐるぐると回り続けて、なかなか眠れないことがあった。

情報は摂取した瞬間には気づかないけれど、じわじわと頭の容量を使い続ける。


通知のない夜は、静かだった。


眠りが深くなった、と感じた。朝の目覚めが、すこし違った。

目が覚めたとき、すぐにスマートフォンを開かなくてもよかった。

ただ、窓から入ってくる光を眺めていた。

それだけの時間が、一日の最初に生まれた。

本来の関心事が、浮かび上がる

ノイズが消えると、自分が「本当に気になっていること」が見えてくる。


誰かがバズっているから気になっていたのではなく、わたし自身が元から関心を持っていたもの。

庭の植物の様子。読みかけの本の続き。

次に書きたい記事のテーマ。家族の体調。

それらが、静かに浮かび上がってきた。


SNSを見ているとき、わたしは「自分の関心」と「他者の関心」を混同していた。

誰かが面白いと言っているから面白そうに見える。

誰かが怒っているから、自分も気になり始める。

そのノイズが取り除かれたとき、自分の輪郭がすこし、はっきりした。

1週間後の選択

デトックスを終えて、少しだけアプリを戻した。


でも、以前と同じようには使っていない。

開く時間を決めて、目的なくスクロールしない。通知はオフのままにしている。

意識的に距離を取ることと、完全に遮断することは違う。

どちらも極端だ。

その境界線を、自分で決めていくことが大事だと思う。


静寂の中で見えた心の輪郭を、忘れないでいたい。


スクロールしたくなったとき、「本当に知りたいことがあるのか」と一度だけ自分に問いかける。

その小さな間が、ノイズと関心を分ける境界線になる。


1週間のデトックスを通じて、もう一つ気がついたことがある。

「情報を受け取ること」と「何かを感じること」は、同時には起きにくい、ということだ。

スマートフォンを眺めているとき、わたしは常に何かを処理していた。

でも何も見ていないとき、初めて「感じる」時間が生まれた。風の音を聴いた。

食事の味に集中した。本の言葉がゆっくりと染み込んできた。

情報の洪水の中では、そういう時間は流されてしまう。


ノイズを取り除くことは、自分の感覚を取り戻すことでもある。

デトックスという言葉は少し大げさかもしれないけれど、やってみて良かった。

また定期的に試そうと思っている。

今度は2週間、と少し欲張りなことを考えている。

静寂の中で見えたものを、日常に持ち帰る。

それが、このデトックスの本当の意味だったのかもしれない。

ノイズを遮断することが目的ではなく、自分の声を聴き直すことが目的だった。

その目的は、達成できた気がしている。

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