同盟という古のインターネット文化に憧れる。バナーで緩やかに繋がるっていいよね

古き良きインターネット文化に心を馳せる。

「同盟」という、緩くも人の温かみが感じる、
その文化に

あぁ、わたしのインターネットでの他人との距離感ってまさにこれだよなぁ
ってさ

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深夜、小さな画像を作る

夜の十一時を過ぎたころ。

パソコンの画面には、まだ何も乗っていない四百六十×六十ピクセルの、まっさらな四角形が浮かんでいる。

わたしはそこに、この「境界線のアトリエ」を象徴する色を選び、余白を決め、小さな文字を配置していく。

誰かに頼まれたわけではない。

商品を売るためのバナーでもない。

ただ、当サイトへ繋がるリンクを、味気ないテキストのままにしておきたくなかった。

それだけの理由で、こんな夜更けに手を動かしている。

キーボードを打つ音だけが部屋に響く。

「同盟」という、古い言葉

インターネットには、かつて「同盟」という文化があったのだと聞く。

同じ趣味、同じ感性を持つサイト同士が、互いにリンクを貼り合い、緩やかな輪をつくっていた時代。

アルゴリズムもフォロワー数も、そこには存在しなかった。

あるのはただ、「あなたのサイトが好きです」という、素朴な意思表示だけ。

わたしは今、その古い言葉に、不思議と惹かれている。

SNSの世界では、投稿は流れの中に一瞬だけ現れ、すぐに次の情報に押し流されていく。

数字だけが積み重なり、誰と繋がっているのかさえ、時々わからなくなる。

けれど「同盟」は違う。

それは、流れの外側にある。

自分のサイトという、小さな部屋の壁に、誰かのサイトへの扉をそっと開けておくような行為。

プラットフォームという大きな川に流されるのではなく、個々の「アトリエ」が、それぞれ独立した場所に立ったまま、静かに手を伸ばし合う。

その距離感が、今のわたしにはちょうどいいのかもしれない。

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noteから当サイトへのリンクバナー画像

バナーを自作するという行為には、効率という言葉がまったく似合わない。

既製のテンプレートを使えば、もっと早く、もっと整った形で仕上げられるだろう。

けれどわたしは、あえて手間のかかる道を選ぶ。

フォントの太さを何度も変えてみる。

背景の余白を、あと五ピクセルだけ広げてみる。

そんな些細な調整を繰り返すうちに、画面の中の四角形が、少しずつ「わたしのもの」になっていく感覚がある。

不思議なことに、この手間そのものが、サイトへの愛着を育てているように思う。

誰かが用意してくれた便利な仕組みに乗っかるだけでは、決して芽生えない感情。

自分の手を動かし、失敗し、また作り直す。

その過程の中でしか出会えない愛おしさが、確かにここにある。

一枚のバナーは、ただのリンク画像ではない。

それは、わたしがこの場所を大切にしている、という小さな証のようなものだ。

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繋がりは、静かに続く

このバナーを見て、誰かが当サイトへ訪れてくれるかもしれない。

あるいは、誰にも気づかれないまま、静かにそこに在り続けるだけかもしれない。

どちらであっても構わないんだけど。

大きな声で繋がりを求めなくても、小さな手仕事の積み重ねが、いつか誰かの目に留まる日が来る。

その日を急かさず、待つこと。

それもまた、インターネットの片隅でこっそりと運営している者の、ひとつの在り方だと思う。

画面の中の小さな四角形を、もう一度眺める。

まだ拙い出来かもしれない。

けれどそこには、確かにわたしの手の跡が残っている。

その跡こそが、プラットフォームには決して真似できない、個人サイトならではの人の温もりなんじゃないかな

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