
ドラゴンクエスト3のエンディングを見た夜から、少し経った。
余白が、生まれた
あの静かな達成感と、「終わった」という感覚は今もどこかに残っている。
30年越しの宿題を片付けたことで、心の中のある場所に余白が生まれた。
次に何を迎えようかと、ゆっくり考えている。
そういう状態が、好きだ。次を急いで探したくなる気持ちもある。
でも今回は、少しだけその余白の中にとどまってみようと思った。
終わったことの余韻を、もう少し丁寧に味わいたかった。
ドラクエ3のエンディングの音楽は、今でも頭の中で流れることがある。
あの静かで壮大なメロディが、30年越しの宿題を終えた夜に体に刻まれた。
何かが終わった直後の、まだ何も始まっていない時間。
次の物語を選ぶ権利が、まるごと自分の手の中にある感覚。
急いで埋めなくていい。
ただ、その余白の中に静かにいることが、また豊かな時間になっている

カプコンの新作、『プラグマタ』が気になっている
次の物語の候補として、カプコンの『プラグマタ』が頭にある。
まだ詳細が明かされていない部分も多いけれど、公開されているビジュアルや世界観の断片が、すでにわたしの好奇心を揺さぶっている。
月面の未来都市と、子どもを連れた大人の旅。
その静けさと緊張感の混じった空気が、「見てみたい」という気持ちを引き出している。
ゲームに求めるものが、昔と少し変わってきた気がする。
アクションの爽快感よりも、世界の空気感。シナリオの密度。
プレイしながらその世界に「いる」と感じられる没入感。
歳を重ねるにつれて、そういうものを求めるようになってきた。
旅は、常に更新されていく
物語が好きだ、と改めて思う。
本でも、ドラマでも、ゲームでも、根っこにある喜びは同じだ。
「知らない世界を旅する」という体験。
現実の外に出て、別の時間と場所で生きてみること。
その旅を通じて、現実に戻ってきたとき、何かが少し変わっている。
ロトの伝説は完結した。でも旅は終わらない。
次の物語が、どこかで始まろうとしている。
終わることを恐れずに始められるのは、終わった後にも何かが残ると知っているからだ。
物語の余韻は、次の物語への橋になる。
ゲームのことを大人になっても真剣に語れること、それ自体がひとつの豊かさだと思っている。
子供のころに夢中になったものを、今も大切に持ち続けていること。
それは退行でも幼稚さでもなく、自分の根っこに触れる行為だ。
ゲームを通じてどんな世界を旅したか、どんな感情を経験したか。
それは確かに、今のわたしを構成する一部になっている。
新しいゲームを待ちながら、積んだままのタイトルを少しずつ消化しようとも思っている。
旅は、常に複数同時に進行している。それが、楽しい。
物語は終わっても、次の物語がすでに始まっている。
そのことに気づくたびに、生きることの豊かさを感じる。
旅を続けていける限り、わたしはここで書き続けるだろうと思っている。
それが今の、静かな決意だ。




