
目が覚めたとき、外が騒がしかった。
窓がガタつく朝
風が強い。木が大きく揺れて、何かが転がる音が聞こえた。
空は白みがかった灰色で、雲が速く動いていた。
こういう日は、気持ちも落ち着かない。
それはずっと前から知っている。
体がどこか重くて、頭の芯がぼんやりしている。
何かをしようとすると、いつもより力が要る感じがする。
コーヒーを淹れながら、今日はあまり無理をしない日にしよう、と決めた。
気圧に敏感な自分を、責めない
天気が悪い日、気圧が下がる日、強風が吹く日。
体が重くなる。
頭がぼんやりする。
何もしたくないという気持ちが、朝からどっしりと座り込んでいる。
こういう自分を、昔は責めていた気がする。気合が足りないのか?
気分に左右されすぎているのか?
もっとしっかりしなければ、と思っていた。
自分の状態を「弱さ」と呼んで、なんとか上書きしようとしていた。
でも今は、少し違う考え方をしている。
人間は気圧の変化に影響を受ける生き物だ。
耳の奥にある気圧センサーが乱れ、自律神経がそれに反応する。
それは医学的な事実であって、意志の問題ではない。
怠けているのではなく、体が正直に動いているだけだ。
そう思えると、この重さをすこし受け入れやすくなる。
「今日はそういう日なんだ」と、ただ認めて諦めて力を抜くように心がけるように最近は思えるようになった。
嵐が過ぎるのを、静かに待つ
こういう日のわたしなりの過ごし方がある。
無理をしない、ということだ。
「やらなければいけないこと」は最小限に留めて、あとは嵐が過ぎるのをただ待つ。
カーテンを少し開けて、風の音を聴く。
「うるさいな」と思いながらも、その音に意識を向けていると、不思議と心が静まってくる。
嵐の音はわたしの外にある。
わたしの内側とは、関係ない。
外の世界がどれだけ激しく動いていても、じぶんの境界線の内側は、静かに保てる。
そう思えると、少し楽になる。
荒れた日に無理して動こうとすると、翌日にしわ寄せが来る。
それを何度か経験して、今は「嵐の日は嵐のペースで生きる」と決めている。
何もしない日の、豊かさ

強風の日に、わたしは何もしなかった。
読みかけの本を少し読んで、お茶を飲んで、昼寝を一時間した。
夕方は窓の外を眺めながら音楽を流していた。
生産的ではない。アウトプットは何もない。
誰かに報告できることは何も起きなかった。
でも夕方、風が少し収まったとき、窓の外の木が静かに揺れていた。
さっきまであんなに激しかったのに、と思う。
自然は自分のリズムで動く。
急かされることなく、ただ変化していく。
気圧に負けた日は、負けたままでいい。
次の晴れた日に、ちゃんと動けばいい。
「何もしない日」があるから、「何かをできる日」が生きてくる。
むしろ、何もしない日を許容できる人の方が、長く続けられる気がする。
嵐の音を聴きながら、そんなことを思った一日だった。
「今日は調子が悪い」と言えることは、自分の状態を知っているということだ。
それはセルフケアの第一歩だと思う。
強い日は動けばいい。弱い日は休めばいい。
そのメリハリが、長く続ける秘訣だと、最近ようやく腑に落ちてきた。
気圧に敏感なわたしにとって、天気予報は体調予報でもある。
明日は晴れそうだ。少し楽しみにしながら、今夜は早く眠ることにした。



