「動く言葉」の型を探して。AI動画生成の理想と現実

インスタグラムのリールを、もっと定期的に更新したかった。

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インスタ用の動画を、量産したかった

文章だけではなく、動く映像で当サイトの空気を伝えたい。

そう思って、AI動画生成ツールを試してみた。

テキストを入力すれば動画ができ上がる、という触れ込みのもの。

いくつかのサービスを使い比べてみた。期待していた。

うまくいけば、更新の仕組みが一段階楽になると思っていた。

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理想と現実の、距離

使ってみた。生成された動画は、確かに「それっぽかった」。

でも何かが違った。質感が、合わない。

わたしのアトリエの温度感と、AIの作る映像の滑らかさが噛み合わない。

綺麗すぎる、という感覚に近い。

整いすぎていて、余白がなくて、どこかの誰かのためのものみたいだった。

「わたしの場所」の映像には、見えなかった。

いくつかプロンプトを変えて試してみたけれど、どれも同じ感触だった。

技術の問題ではなく、方向性の違いなのだと気がついた。

テクノロジーは万能ではない

AIをパートナーとして使うことは、少しずつわたしも試している。

文章の構成を整えるのを手伝ってもらったり、アイデアを膨らませる対話相手になってもらったりすることは、うまくいっている。

でも今回の失敗から、あらためて思ったことがある。

テクノロジーが得意なことと、苦手なことがある、ということだ。

文章の「骨」を作ることは得意でも、映像の「空気」を作ることは、今のAIにはまだ難しい。

あるいは、わたしが使い方をまだ掴めていないだけかもしれない。

そのどちらであっても、今のわたしには合わなかった。

道具は、使う人と使い方によって、合う合わないがある。

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手仕事の動画が、合っている

結局、自分で素材を撮って、自分で切り貼りする方法に戻った。

スマートフォンで、朝の光を撮る。お茶を淹れる手元を撮る。本のページをめくる音を録る。

それを繋いで、テキストを重ねて、音楽をのせる。時間はかかる。

AIの方がずっと速い。で

もこのやり方の方が、「わたしの場所」の匂いがする。手仕事の動画、と呼ぼうと思う。

ラジオVlogについて書いたときと、同じことを思った。

自分に合った表現の型は、いくつかの失敗の後に見えてくる。

AIの動画生成を試して「違う」と気がついたことは、むしろ良かった。

試していなければ、「合っている」ものも分からないままだった。失敗は、地図の一部だ。

ここではないという情報が、本当の場所への道を少しずつ明確にしていく。

「動く言葉」の型を、まだ探している途中だ。

でも手仕事の動画というスタンスが、今は一番しっくりきている。

しばらくはこれで進んでみようと思う。

表現の方法を模索することは、自分が何を大切にしているかを問い続けることでもある。

速さより丁寧さを選ぶこと。効率より温度感を選ぶこと。

それはブログの文章と、まったく同じ選択だ。

動画という媒体が変わっても、根っこにあるものは変わらない。

手仕事の動画を、当サイトの「動く版」として、少しずつ育てていきたいと思っている。

表現することをやめたくない、とわたしはずっと思っている。

文章でも、映像でも、音声でも、形は変わっていい。

でも「伝えたい」という気持ちだけは、手放したくない。

AIが動画を作る時代になっても、テクノロジーが進化しても、結局のところ「誰がどんな気持ちで作ったか」が伝わるものは、手を動かした人間にしか作れない。

そのことを信じながら、今日も素材を撮る。

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