
自転車のペダルを踏みながら、坂道を上っていた。
傾斜は40度ぐらいだろうか
梅雨があけてないのに朝から31度だとか。
あちぃ
坂道を登るのってこんなに大変だったっけ?
このあたりは、想像していたよりもずっと勾配がきつい。
太腿の裏側に、じわりと熱がこもっていく感覚があった。
その日はすでに、昨日のジムでスクワットとデッドリフトを、いつもより重めの負荷でこなしていた。
自転車の乗る前から、すでにわたしの足はうっすらと筋肉痛を感じてた。気がする
「頑張り」が積み重なる先にあるもの

思えばこの数日、身体に負荷をかけ続けている気がする。
もっと重い重量を。
もっと長い距離を。
そうやって自分を追い込むことに、どこか快さすら覚えていた。
けれど身体というものは、正直なもんで、
こちらがどれだけ気合いで押し切ろうとしても、限界を超えれば、必ずどこかに軋みという形でサインを送ってくる。
自転車で坂道を登り終えたあとの些細な違和感。

もう若くないからね、

頑張り屋であるほど、休むことに罪悪感を覚えてしまう。
わたしにも、その感覚には覚えがある。
一日休めば、積み上げてきたものが崩れてしまうような、そんな焦りにも似た気持ち。
けれどしばらくは、あえて「何もしない」ことを選ぶことにした。
トレーニングも、一旦お休み。
代わりに、湯船にゆっくりと浸かり、強張った筋肉をほぐす時間をとる。
膝を軽く曲げ伸ばしして、その軋みが和らいでいくのを確かめる。
ダイエットや筋トレは継続が大切だと聞く。
身体という、かけがえのない道具を大切に扱うために、状態をみながらメンテナンスをして整えていく。
頑張ることばかりに気を取られていると、休むこともまた、継続の秘訣であることを忘れてしまいがちよね
筋肉は、負荷をかけた瞬間ではなく、じっくりと休息の中でこそ、静かに強くなっていくもんだし

軋みの先にある、静けさ
夜が更けていく。
膝の違和感は、まだ完全には消えていない。
けれど、それを無理に消そうとせず、ただそこにあるままを受け入れている
じぶんの身体の声にきちんと耳を傾け、休むという選択をできたこと。
歳を重ねて、すこしは成長できたのかもしれない。
頑張ることに慣れすぎた身体は、時々、立ち止まる勇気が必要なのかも
膝の軋みは、自分自身からの警告であると同時に、優しい合図でもあったのかもしれない。
「そんなに急がなくていい」と、身体がそっと囁いてくれたような、
ダイエットでトレーニングを頑張っているのですが、やり過ぎると古傷を痛めてしまうので、
頑張りすぎには注意ですね(笑)
もう若くないもんなー


