
シルバーウィークという、まとまった時間をもらえたことをきっかけに、
長らく手をつけられずにいたクローゼットの整理を始めることにした。
クローゼットに、静かに向き合う
クローゼットや箪笥の奥底には、何年も袖を通していない服が、静かに眠っていた。
かつては気に入って着ていたはずなのに、今見返すと、なぜか違和感がある。
体型が変わったのか、好みが変わったのか。
理由ははっきりしないけれど、「もう、これは違うな」という感覚だけが、はっきりとそこにある。
1枚1枚、丁寧に手に取りながら、残すものと、手放すものを、静かに選り分けていく。
過去の思い出と共に丁寧に、いまのじぶんに必要なものかを区別していく

モノに宿る、過去の気配

作業を進めながら、ふと、ある言葉を思い出していた。
モノには、気が宿る。
古くからよく言われる、この言葉の意味を、服の整理や断捨離をする度に痛感する。
手放すことにした服の中には、あの、しんどかった時期によく着ていたものも含まれていた。
異常な職場環境に身を置いていた頃。
我慢を重ねながら、なんとか日々をやり過ごしていた頃。
(全身、ストレス性の湿疹に悩まされてた頃の苦い思いもセットで思い出してしまう)
そうした記憶が、その服に、静かに染み付いているような感覚がある
1枚、また1枚と手放していくたびに、身体の内側から、何か重たいものが、少しずつ抜け落ちていくような感覚があった。
単なる整理整頓ではない。
過去の負のエネルギーと、丁寧に、けれど確実に、縁を切っていく作業なのだと思う。
すべての服を処分し終えたとき、クローゼットの中は、驚くほどすっきりとしていた。
心も不思議と軽くなっている感覚がするんだよね

声を通して、感じた近しさ

服の整理と並行して、もう一つ、心を動かされる出来事があった。
以前にもどこかで書いたかもしれないが、わたしは生配信というものが、どうにも苦手です。

けれどある番組の生配信に参加する機会があり、思いがけず、心地よい時間を過ごすことができた。
その番組の配信者さんたちと交わした言葉のやり取りは、想像していたよりもずっと自然で、肩の力を抜いたまま楽しめるものだった。(緊張することもなく普通のテンションで話せるというのは似た感性の人同士だからなのかも)
声のトーンや、話し方の間合い。
そうした細やかな部分から伝わってくる感性の近さに、なんとも言えない親近感を覚えた。
無理に盛り上げようとするわけでもなく、かといって気まずい沈黙が続くわけでもない。
ただ自然体で、心地よい距離感が、そこにはあった。
この「しっくりくる」という感覚は、服の断捨離と同じように、自分にとって本当に合うものを見極める作業と、どこか似ているのかもしれないなぁ
新しいハンガーと、これからの装い

すっきりとしたクローゼットに、新しいハンガーを買い揃えることにした。
これから先、ここに掛けていく服は、これまでとは少し違う基準で選んでいきたいと思っている。
30代の終わりから、いよいよ40代へ。
その節目を迎えるにあたって、纏う服の質感も、あらためて見直したくなっている。
量をたくさん持つことよりも、素材や色味にこだわった、本当に質の良いものを、少しだけ手元に置いておく。
(これまでもアイテム数の数は絞っていたんだけどね)
派手さや流行を追うのではなく、綺麗めで、シンプルな装い。
これからは一層、じぶんに合うスタイルに鮮麗していくような。
新しいハンガーに、これから迎える服たちを思い描きながら、静かなワクワク感が胸に広がっていくのを感じながら

手放すことで、見えてくるもの

服を手放し、人との心地よい距離感を再確認し、これからの装いを思い描く。
この一連の流れは、単なる季節の片付けではなく、40代という新しい年代を迎えるための、静かな儀式のようなものだったのかもしれない。
古い服とともに、過去の重たい記憶も、丁寧に手放していく。
そして、本当に自分に合うもの、心地よいと思える関係性だけを、これからは大切に選び取っていく。
モノも、人との関わりも、量より質を意識しながら、これからの日々を、軽やかに纏っていきたいな



