「100人」の向こう側にある体温。SNSと広告ツールの境界線

気づいたら、noteのフォロワーが100人を超えていた。

目次

数字が、増えていた

Threadsも、少しずつ増えている。嬉しいとは思う。

それは本当のことだ。

でも同時に、すこし戸惑っている自分もいる。

100人というのは、小さな数字ではない。でも大きな数字でもない。

ちょうど「現実感が生まれてくる」あたりの数だと思う。

知らない誰かが読んでいる。その実感が、じわりと増してくる。

数字を追うゲームは、好きじゃない

フォロワーが増えるほど、「もっと増やそう」という気持ちが生まれやすい。

投稿の時間帯を工夫して、バズりそうなネタを選んで、ハッシュタグを研究する。

そのゲームに入ることはできる。でも、それをやりたいわけではない。

数字が目的になったとき、表現の何かが変わってしまう気がする。

誰かに「いいね」されるための言葉と、自分が書きたい言葉は、必ずしも一致しない。

そのズレが少しずつ積み重なると、書くことがしんどくなる。

書くことがしんどくなった瞬間に、当サイトの意味が薄くなる。

本末転倒だ。

あわせて読みたい
個人サイトやブログを読むのが趣味なのかもしれない AIに聞けばなんでも教えてくれる時代になったけど、それでもインターネットの上でたまたま出会えた記事をつい読んでしまう ふと、思うのである あぁ、わたしは個人サイ...

届けたい人に、届ける

でも100人という数字を前にして、「割り切り」の部分も考えた。

当サイトに辿り着いてほしい人がいる。

都会の喧騒に疲れた人。
SNSのスピードに息苦しさを感じている人。
静かに自分と向き合う場所を探している人。

そういう人に届けるためには、存在を知ってもらう必要がある。

SNSは、そのための「案内板」だ。

案内板に凝りすぎなくていい。目立つ看板を作る必要もない。

ただ、道の分かれ目に静かに立っていてくれればいい。

あわせて読みたい
Xの再開 SNS苦手な私の「今」の使い方と距離感 SNSに疲れ果てて、あらゆるSNSアカウントを削除した数年前 ふと「おや?これならありなのでは・・・?」と感じた、最近の私のSNSとの距離感と向き合い方について 媒体ご...

依存の仕組みに、飲み込まれない

SNSは依存を促すように設計されている。

通知、いいね、フォロワー数。

それらがドーパミンを刺激して、「もっと」を求めさせる。

その仕組みを知った上で、距離を保って使う。

フォロワー数は月に一度確認すれば十分だ。毎日見る必要はない。

投稿の反応は参考にはするけれど、振り回されない。

「100人の向こう側にある体温」を、忘れない。

数字の向こうに、ひとりひとりの人がいる。

その人たちに、静かに、丁寧に、届け続ける。

それがわたしにとっての、SNSとの正しい距離感だと今は思っている。

100人を超えた今、改めて思うのは、「次の100人」ではなく「今いる100人」のことだ。

すでに来てくれている人たちに、丁寧に向き合うこと。

その積み重ねが、本当の意味での繋がりになる。

焦って広げるより、深めることを選びたい。

アトリエという言葉が示すように、ここは工房だ。

大量生産の場所ではなく、一つひとつを丁寧に作る場所。

その姿勢を、数字が増えても忘れないでいたい。

フォロワーが100人を超えた記念に、何か特別なことをしようかとも思った。

でも結局、いつも通りの記事を書いた。

それが一番正直な「お礼」だと思えたから。

読んでくれている人たちが求めているのは、きっとわたしの「特別な何か」ではなく、「いつも通りのこのアトリエ」だ。

変わらずここにいること。

それが、今わたしにできる最大のことだと思っている。

SNSの使い方について、これからも試行錯誤は続くと思う。

正解はないし、自分の状態によっても変わる。

でもこの「案内板」というスタンスだけは、ずっと持っていたい。

アトリエへの道標。

それ以上でも、それ以下でもない場所として、SNSを静かに使い続けていく。

数字に一喜一憂しない日が来ることを、すこし楽しみにしながら。今はまだ、その練習中だ。

通知を見るたびに心が動く自分がいる。

でもそれを否定せず、ただ気づいて、静かに画面を閉じる。

その繰り返しが、やがて自分のリズムになっていく。

あわせて読みたい
インターネットやnote見ると、すごい人だらけが目につく 「なんか、すごい人だらけだな。」 昨夜から今朝にかけて、少しスマホでだらだらとネットで情報を漁りすぎた気がする 検索したら成功者だらけのインターネット世界 いや...
目次