昼休みの時計を見上げながら、ふと気づいた。
今日も、ほとんどスマートフォンに触れていない。
新しい職場での昼休み

新しい職場では、私物の持ち込みが認められていない。
セキュリティがとても厳しく、スマートフォンは、ロッカーに置いてくるしかない。
最初にその決まりを聞いたとき、正直なところ、少し身構えた。
調べものも、連絡の確認も、何かあればすぐに頼ってきたものが、手元からごっそりなくなる。
不便になるのだろうな、と思っていた。
けれど数日が経つころには、その予想は、まったく違う形で裏切られていた。(いい意味で)

努力せずに手に入れた、デトックス
これまで、デジタルデトックスやSNSデトックスを、定期的に取り入れなければと、何度も書いてきた。
意識して、アプリを閉じる。
通知を切る。
ショートカットを消してみる。
そうした試みは、どれも小さな意志の力を必要とした。
続くときもあれば、いつの間にか元に戻っている日もあった。
けれど今は、そもそも触れる手段がない。
意志を使わなくても、日中のわたしは、自然とネットから切り離されている。
我慢をしているという感覚が、まったくない。
それが、驚くほど楽だった。
努力して遠ざけるのではなく、遠ざかる構造の中に、ただ身を置いている。
その違いが、心の静けさの質を、大きく変えているように思う。

片道30分の、余白のない余白

通勤は、片道30分ほど。(ありがたい限りである)
以前の暮らしの感覚からすれば、かなり近い距離にある。
その短い時間に、できることといえば、音楽を聴くか、ポッドキャストを聴くくらいのものだ。
ネットサーフィンをしようにも、画面を開いて数分でもう着いてしまう。
ダラダラと情報を追いかける隙間が、そもそもない。
電車の窓の外を眺めながら、好きな声に耳を傾ける。
それだけで、通勤の往復が、ささやかな休息の時間になっている。
長すぎず、短すぎず、ちょうどよく区切られた時間。
その距離感に、体力的にも精神的にも、助けられている。

夜は、静かに閉じていく

仕事を終えて帰宅すると、夕飯を食べて、家族と他愛のない話をする。
そのあと、配信サービスで軽めのドラマを一本見たりしているうちに、気づけば就寝時間の22:00である。
平日の夜は、パソコンを開く余裕など、とてもない。
ゲームをする時間も、ほとんど残っていない。
以前の自分なら、その状況を、窮屈に感じていたかもしれない。
もっとやりたいことがあるのに、時間が足りない、と。
けれど不思議なことに、今は焦りがほとんどない。
夜が、無理なく、静かに閉じていく。
ネットから離れた一日の終わりは、思っていたよりもずっと、穏やかである。
心地よい
いい面しか見えていない、という自覚
もちろん、まだ働き始めて10日ほどしか経っていない。
今は、職場の良い面(一部)ばかりが目に入っているのだと、自分でも分かっている。
数ヶ月が経てば、また違う景色が見えてくるのかもしれない。
その可能性を、心の片隅に置いたまま過ごしている。
それでも、今のところ、心も身体も、健やかな状態を保てている。
その事実だけで、十分にありがたい。
久しぶりの社会復帰を、無事に続けられていること。
そのことを、静かに、自分で褒めてあげたいね

構造が、心を守ってくれる

意志の力で、ネットを断とうとする。
それは、とても立派な努力だけれど、疲れているときほど、長続きしにくいものでもある。
だからこそ、環境そのものを、繋がらない構造に置いてしまう。
それが、心を守るための、一番確かな方法なのかもしれない。
今回の出来事は、そのことを、身をもって教えてくれた。
個人サイトやポッドキャストは、これからも土日の余裕のある時間に、少しだけ嗜む程度で続けていきたい。
平日の静けさを、大切にしながら。



