「治る」とはどういうことか。0.5錠の抗うつ薬と、環境という名の特効薬

定期的な通院の日だった。

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心療内科に、行ってきた

診察室で先生に「最近の体調はどうですか」と聞かれると、いつも少し迷う。

「良くなっています」と言い切るには何かが引っかかるし、「悪いです」というほどでもない。

結局「悪くはないです」と答えた。それが今の正直なところだ。

今も0.5錠のレシプロを飲み続けている。最初に処方された量からずいぶん減った。

先生は「このまま様子を見ましょう」と言った。

わたしは「分かりました」と言った。

治っているのか、分からない

正直に言うと、自分がうつ病から「治った」のかどうか、今でも分からない。

薬を飲んでいるから調子がいいのか。それとも今は薬がなくてもいい状態なのか。環境が変わったから楽なのか。

試す方法がないから、確かめようがない。そういう曖昧さの中に、ずっといる。

「治る」というのは、どういう状態のことを言うのだろう。

毎日元気に出勤できること? ストレスを感じなくなること? それとも、薬を飲まなくても大丈夫な状態?

どの基準で測ればいいか、自分でもよく分からない。

先生に「今の状態はどうですか」と聞かれると、毎回「悪くはないです」と答える。

「良い」とは言い切れない。でも「悪い」でもない。

この「悪くはない」という言葉の中に、今のわたしの複雑さが全部入っている気がする。

それをそのまま言葉にできる場所が、ここだ。

心療内科に通うことも、薬を飲み続けることも、誰かに話すのが難しいことだ。

でもこのアトリエには書ける。読んでくれる人がいるかどうかより、書けること自体が意味を持つ。

言葉にすることで、曖昧だった感覚が少し輪郭を持つ。

それが今のわたしにとって、ここを続ける理由の一つだ。

0.5錠の薬と、環境という名の特効薬。どちらがより効いているかは分からない。

でも今日も、なんとか大丈夫だった。そのことを、ここに正直な言葉でしっかりと記録しておく。

それだけで、今は十分だ。

環境が変わった、という事実

でも一つ、はっきり感じていることがある。

今の会社の人たちと、ほとんど関わらなくて済んでいる。休職しているから、連絡もほとんど来ない。

あの空間にいないということが、体の重さを変えた。

以前は、朝目が覚めるたびに「今日もあの場所に行かなければいけない」という感覚があった。

それが体を重くしていた。今は、その感覚がない。目が覚めると、一日が自分のものだ。

それが何よりの回復の一助になっているのだと思う。

薬ではなく、環境だった。

安定は、環境次第だという不安定さ

この事実は、少し怖くもある。

安定が「あの人たちと関わらなくて済む」という外側の条件に依存しているとしたら、その条件が変われば、また崩れるかもしれない。

薬が効いているのではなく、環境が効いているだけだとしたら、それは盤石な回復ではない。

でも、それがリアルだと思う。内側だけを強くしようとしても、環境が人を壊すことはある。

だから環境を選ぶことと、境界線を引くことが、治療と同じくらい重要だと感じている。

自分の境界線を自分で守る。それが、今のわたしにできる一番の処方だ。

こういうことを書くのは、少し勇気が要る。

抗うつ薬を飲んでいること、休職していること、それを公開することへの迷いは今でもある。

でも、同じような状況にいる人が、ひっそりと検索してこのページに辿り着いたとき、「自分だけじゃないんだ」と思ってくれたら、それだけで書く意味がある。

治るとはどういうことか、わたし自身にもまだ分からない。

でも、今日も生きていて、ここに書けた。それが今のわたしの回答だ。

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