
SNSやめたら何かと創作活動をしたくなるのってあるあるよね
ぽっかりと空いた時間を何に使うか?
自分の中の感性を爆発させて何かに注ぎ込みたくならないか?
SNSやめて1年が経過してた
気づけばSNSをやめてから1年以上が過ぎ去っていました。
SNSって言っても、主にXなんだけどね
そもそもTwitter自体、作っては消し作っては消し、と何度かやめてた時期はある。
その都度、SNSからの流入が必要だとか、自分自身の趣味と同じ話題で盛り上がれる人を探したいだとか、好きなラジオ番組のハッシュタグでリアルタイムに盛り上がりたいだとか・・・。
まぁ、色々な理由があってその度にアカウントを作ったりしてたんだけど
結局、毎回、最終的に辿り着くのは、
SNSをやってると得るものよりも失っていくものの方が多い気がして嫌気がさす感覚
SNSやってると「時間」だけでなく「自分自身」も失っていた気がする
おおげさな気がするかもしれないが、後から振り返ってみるとこの表現がしっくりくる
SNSの中毒性というのは既に色々な面で証明されてるけど、なんていうか自分的にはXを起動してなくても「無意識レベル」で衝動的にXに呟けばいいかと変な安心感を持ってた
好きなように呟くんだから精神的にいい影響があるのでは?と思いがちだが、SNSは他人からの反応を気にしなくてはいけないという謎の「空気感」がある場所だ
そんな環境の中で、まるで「虚像の自分」を演じるように「(空気感がいい感じ)の呟き」をしてしまうクセがつく
この変なクセは現実世界の「周囲の人の空気を読む」とほとんど同じだ
むしろSNSの方が「無意識での演出」をしてしまうだけタチが悪い
SNSをやり続けることで本当に失っているのは「時間」ではなく「自分自身」だと思う
自分の中での変化
何度目かのSNS卒業を経て、自分の中では「やっぱSNSって自分には必要なかったんだな」と実感している
SNS上での誰かとの交流や、リアルイベントでの出会い、共通の話題で盛り上がったタイムライン。時にスペースと言う名の生配信でのひととき。
楽しいこともたくさんあった
けど、なぜか疲れる空間でもあった
他人との交流もいいけど、やりすぎるとメンタルに悪い
誰かと気軽に繋がれるし、趣味や嗜好に合った人とのネット上でのメッセージのやり取りは楽しい
これは間違いなくSNSをやる上でのメリットと言える
だけど、私みたいなタイプの人間は、徐々に「空気」を読んでしまうのである。
もう少し言い換えると「いい人」を演じてしまう
共感を呼ぶような気の利いた呟きをしたり、誰かのつぶやきに優しく寄り添うようなリプをしたり、生配信では盛り上がりそうな流れに誘導するようなコメントを書き込んだり
こんなことを無意識に自然にやってしまうのである
それを誰かに強制されたわけでもないのに、
気づけば疲れてる自分がいる
その瞬間は満足感や幸福感、楽しい、という体感がありいい気分だったりする
けど、気づいた時には「あれ?自分ってどういう人間だっけ?」と分からなくなってくる感覚がある
Xという空間での自分は、果たして本当の自分なのか?
内省しがちな人は創作活動するといいぞ
私は内省タイプの人間だ
趣味=内省
と言っても差し支えないぐらいに、24時間、頭の中で自分と喋ってたりする
おまけに、人間観察が好きという悪趣味まで持ち合わせている
他人の挙動のクセや心理描写まで勝手に分析したり、読み取ったりしてその人が何を求めているのか?を考え、ある程度の「答え」を提供するのが自然とやってしまうタイプである
そして、そんなことをしながら頭の中で高速で色々なことを思考している。
感覚的には脳内で自動で流れてるラジオみたいなもんだ
世の中には「何も考えてない」人と、「何かを常に考え続けてしまう」人の2タイプな気がする(完全な偏見です)
私は後者
考えなくてもいいようなことまで、つらつらと考えてしまう
そして大体行き着く先はネガティブな結論に辿り着く
結論というか、感情がもうマイナスに引っ張られる
反芻思考が止まらない。
自分の中で渦巻く嵐のような言葉を掬い上げるという行為=創作活動
止まらない思考のエネルギーは放っておくとマイナスの感情になってしまう
そんな自分を止めるためには何かに夢中にならないといけない
ってか、何かに夢中になることでしか止められない
だからこそ、創作活動という名のアウトプットが必要なんだ
別に大した立派なものを作る必要はない。
けど、自分のこだわりを全力で注いで、何かを作り上げることで心が満たされて、濁流のように押し寄せていた頭の中の思考が止まる
自分で自分に満足する
その繰り返しで自分自身を取り戻していく感覚
同じ「時間」を使うなら「自分自身」に向き合っていくことで何かが見えてくるのかもしれない