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SNS時代にどうして個人サイトを再開したのか?

    インターネットの世界で自分の居場所が欲しいなと思うようになって久しいのは私だけだろうか?

    スマホを持つ人の多くが何かしらのSNSをやっていて、複数のアカウントを使い分けるのが当たり前の時代

    そんな中、どうしてわざわざ私が「個人サイト(ブログ)」を再開することにしたのか綴っていきます。

    目次

    SNSの空気感にどうしても馴染めなくなった

    私もこれまで色々なSNSを使ってきました。(あまり種類は多くはないのだけれど)
    Twitter(X)、Instagram、等々・・・。

    特にTwitterに関しては、サービスが開始した頃からアカウントを作り「〇〇なう」とか平和な呟きをする時代から使っていました。SNS初期の頃から利用してきた世代です。

    世の中の色々な情報がリアルタイムでみることができる。

    画期的なサービスだったなと当時は感動したのを覚えています。

    ただ、ここ数年に関しては、SNSを開くたびに心のモヤモヤが増えるというか、負の感情を刺激されるような体験が増えるようになって徐々に距離をとるようになってきていました。

    世間で言われている「SNS疲れ」という状態だったのかなと

    自分の中では「便利さ」よりも「不自由さ」が少しずつ少しずつ増えていき、違和感が増してきた感覚です。

    SNS上での人間関係が負担になっていった

    SNSの良いところは「誰とでも繋がれる」という特徴がありますよね。

    私もかつては趣味や情報発信活動で、色々な人と相互フォローなんかして仲良くやってた時期がありました。

    ホントにSNS初期の頃って、繋がれた人との距離感が丁度良い感覚がありました。

    ただ、最近ではSNS上での人間関係は「距離感がおかしい」人が増えたように感じることが多かったです。

    ネット上なので、距離感という表現自体が滑稽に感じることもありますが、なんていうかネットとは言え、マナーや最低限のルールを守らない人が目立つようになってきた印象があります。

    最終的には、「繋がりたくないな」と感じるようになっていきました。

    数字に満ち溢れた世界に息苦しさを感じる

    いつの頃からだったのか記憶があやふやですが、SNSやネットでは数字で評価されるのが当たり前になりましたよね。

    どのSNSでも何かしらの「数字」が常時、表示されるようになり、可視化されるのが常識に

    数字で優劣を決めるわけではないのは分かっているけど、なんとなく「嫌だな」と思うのは私だけ?

    一昔前には「バズる」「盛る」「映える」という言葉が流行しはじめて、多くの人が「数字が多い=正義」という感覚が広まった気がします。

    元々インターネット上でビジネスをやる人もいましたが、この「いかに数字を稼ぐか」でお金を稼ぐ人も爆発的に増えたのも、私がSNSに嫌気がさしてきた要因の1つです

    みんな、そんなに稼ぎたいの?

    で、何周も回って個人サイトに戻ってきた

    SNSとの距離感や使い方を調整したり、自分なりの発信方法を模索したりとしながら違和感を感じながらここ数年を過ごしてきました。

    そして現在。

    「なんだかんだで個人サイトは(気楽で)楽しかったよなぁ」

    と思うようになり、日にちを追うごとに「再開するかぁ」となったわけです。

    私の場合は、こんな風に思いのままに文章を書くことが好き。というか落ち着く。今で言うとジャーナリング的な?

    文章書くだけなら、noteでいいじゃん。ってなるけど、なんとなく私はnoteはSNSの一種なので、違和感を抱きながらリラックスしていられる空間ではなさそうだなと感じてます。

    別にnoteで記事を書いてる人たちを批判するつもりはないのですが・・・。

    個人サイトにした理由は、ブログ記事だけでなく、他の形式の表現方法も出来るスペースが欲しいなというのも理由です。

    文字で記事を書くことも好きですが、音声配信や動画コンテンツなどを作ったり、音楽を制作することも好きです。

    こういったことを1つの場所で集められる場所がいいなと考えたら、最終的にはスタート地点の「個人サイトでいいのでは?」と辿り着いた感じです。

    あと、大した理由ではないのですが、自分で自由に作れる空間って楽しいんですよね。各種SNSだとプラットフォームや使い方は固定化されているので、余白がない空間だと、自由に羽を伸ばすことができないなとも感じたからになります。

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