
気づけば、脛が青くなっていた
ふと自分の脛を見て、ぎょっとした。
いつの間にか、青紫色のアザがいくつも散らばっている。
そういえば。。。
自転車のペダルに、何度も脛をぶつけていたことを思い出す。
急いでいてペダルを踏み外したり、
スーパーの自転車置き場から出す時にぶつけたり・・・。
気づかないうちに、身体のあちこちに小さな痛みの跡が積み重なっていた。
そういえば、膝の奥にも、あの軋むような違和感がまだ残っている。
(下半身筋トレするとたまに痛むんだよね)
坂道を上るたびに、ミシリ、と小さな音を立てていたあの感覚。
脛のアザと、膝の軋み。
どちらも、ふと気づく、
身体の傷や痛みに

効率という名の、急ぎ足

思えば、ここ最近のわたしは、常に何かを急いでいた気がする。
ダイエットの目標に向けて、少しでも早く結果を出したい。
トレーニングの負荷を、少しでも多くこなしたい。
そんな焦りにも似た気持ちが、日々の行動の端々ににじみ出ていたのかもしれない。
自転車を漕ぐスピードも、ジムでの追い込み方も、どこかで「効率よく、早く」という思考に支配されていた。
その結果が、脛のアザであり、膝の軋みだったのだとしたら。
心が急いでいるとき、身体はその歪みを、こうして小さな痛みという形で、静かに教えてくれる。
けれどわたしは、その痛みのサインを、これまで軽く見過ぎていたのかもしれない。
多少のアザなら、ただの生活の一部だと片付けてしまえる。
多少の軋みなら、明日には治まるだろうと、先送りにしてしまえる。
そうやって、身体からのブレーキの合図を、いくつも聞き逃してきたのだと思う。

休むことも、大切な時間
効率を追い求める思考の中では、休息は「何もしていない時間」として思いがち。
けれど、本当にそうなのだろうか。
裏漉しでじっくりと時間をかけて白和えを仕上げたときのことを、ふと思い出す。
あの手間は、遠回りに見えて、実は料理をより良いものに仕上げるための、大切な工程だった。
休息もまた、同じなのかもしれない。
何もせずにただ横になる時間、湯船にゆっくり浸かる時間。
一見、生産性のない時間に見えるかもしれない。
急いで結果だけを求めるのではなく、身体の状態を一つひとつ確かめながら、必要な分だけ手を止める。
その仕草は、雑な工程を経て作られたものよりも、ずっと丁寧な仕上がりを生むための、確かな手仕事なのだ。

ブレーキを、恐れないこと

脛のアザは、しばらくすれば消えるだろうし。
膝の軋みも、休めば少しずつ和らいでいくはず。
けれど大切なのは、痛みが消えることそのものではなく、
その痛みが教えてくれた「つい急ぎすぎている」という自分の気質に、きちんと向き合うことなのかも。
たまにはしっかりとブレーキをかけること。
丁寧に日々を生きていくには、立ち止まったり、自分の身体に向き合う時間もしっかりと確保しておきたいよね。
そういう時間も、目標に向かって進むための、大切な工程の一つなのだと、今は思える。
急がず、焦らず、じぶんの身体と、これからも丁寧に付き合っていきたい。
ついつい無理をしがちなじぶんのことを、意識的に大切にしていかないとね、じぶん自身で


