個人サイトの逆襲|サーチサイト登録に込めた、手作りの魂

実験的にサーチサイトに登録してみた

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小さな窓口を、一つずつ開けていく

パソコンの画面に、いくつかのタブを並べて開いていた。

「コンパスリンク」という、個人サイトを紹介し合うサーチサイトの登録フォーム。

そしてもう一つ、「令和も個人サイト楽しみ隊」という、同じ志を持つ人たちが集うコミュニティへの参加申請。

どちらも、大きな宣伝効果を期待してのことではない。

ただ、自分のサイトという小さな部屋に、外への窓を、また一つ増やしたいという気持ちだけがあった。

紹介文を書き、キーワードを選び、文字数を数えては削り、また整える。

その地味な作業を繰り返しながら、ふと思う。

こういう手続きの一つひとつが、実はとても愛おしい時間なのかもしれない、と。

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便利さの外側にある、手仕事の喜び

思えば、インターネットには便利な仕組みがあふれている。

SNSのアルゴリズムに乗れば、ボタン一つで多くの人に届く可能性がある。

けれどわたしは今、あえてその便利さから少し距離を置いた場所で、手を動かすことを選んでいる。

noteへのリンクを、ただのテキストリンクではなく、自分で作った画像バナーに変えてみたのも、その延長線上にある試みだった。

背景の色を選び、文字の配置を何度も調整し、小さな四角形の中に、このサイトらしさを詰め込んでいく。

正直、手間はかかる。

けれどその手間の分だけ、出来上がったものへの愛着は深くなる。

サーチサイトへの登録も、同盟バナーづくりも、根っこにあるものは同じなのだと思う。

誰かが用意してくれた便利な導線に乗るのではなく、自分の手で、自分の居場所を少しずつ整えていく喜び。

面倒だと感じることもある。

けれどその面倒さこそが、このサイトを「自分のもの」だと実感させてくれる、大切な感触なのだ。

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「同盟」という文化への、静かな逆襲

かつて個人サイト同士が緩やかにリンクを結び合っていた「同盟」という文化。

その古い言葉に、今わたしは強く惹かれている。

プラットフォームという大きな仕組みに依存せず、それぞれが独立した「アトリエ」として存在しながら、手を伸ばし合う関係性。

数字やフォロワー数では測れない、もっと素朴な繋がり方。

サーチサイトへの登録も、コミュニティへの参加も、同盟バナーづくりも、すべてはこの古い文化への、小さな敬意のようなものかもしれない。

大きな声で自分を宣伝するのではなく、同じような感性を持つ人たちと、静かに手を取り合っていく。

それは、効率を追い求める今の時代の流れに対する、ささやかな逆襲でもあるのだと思う。

便利な仕組みに頼らず、あえて遠回りな手作業を選ぶこと。

それこそが、プラットフォームには真似のできない、個人サイトだけの武器なのかもしれない。

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手作りの魂が宿る場所

登録フォームの送信ボタンを押し終えたあと、画面の向こうで何かが変わったわけではない。

けれど、自分の手で一つひとつ整えてきたという実感だけは、確かにここに残っている。

同盟バナーも、サーチサイトの紹介文も、コミュニティへの参加も、どれも派手な成果をもたらすものではない。

それでも、こうした小さな手作業の積み重ねが、個人サイト運営の醍醐味だと思う。

便利さに頼らず、手間を惜しまず、自分の居場所を丁寧に整えていくこと。

それが、個人サイトという場所を続けていく上での、わたしなりの静かな流儀なのかもしれない。

これからも、この小さな逆襲を、飽きずに続けていきたいと思う。

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