インターネットという通り魔|サーチサイト登録で学んだ、境界線の引き方

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良かれと思って、開いた扉

サーチサイトへの登録は、ごく前向きな気持ちから始めた小さな行動だった。

じぶんと同じように個人サイトを大切にしている人たちと、緩やかに繋がりたい。

そんな純粋な願いだけを胸に、紹介文を書き、キーワードを選び、登録のボタンを押した。

しばらくすると、いくつかの問い合わせが届くようになった。

サイト内のイラストについての、丁寧な質問たち。

一つひとつに、誠実に向き合って返信する。

けれどその後、思いがけないことが起きた。

返信したはずの相手から、「そんな問い合わせを送った覚えがない」という連絡が届く。

一件ではなかった。

複数件、同じように。

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顔の見えない悪意に、触れた瞬間

その事実に気づいたとき、背筋にひやりとしたものが走った。

誰かが、実在する他人のメールアドレスとアカウント名を使って、問い合わせを送りつけていた。

その誰かの顔は、見えない。

動機も分からない。

ただ、悪意らしきものだけが、そこに確かに存在していた。

まるで、静かな通りを歩いていたら、見知らぬ誰かにすれ違いざま石を投げつけられたような感覚だ。

痛みの度合いで言えば、決して大きなものではない。

けれど、「見えない誰かに、いつでも狙われ得るのだ」という事実そのものが、じわじわと心を蝕んでいく。

インターネットの怖さを久しぶりに感じた

殴られるわけでも、怒鳴られるわけでもない。

ただ、静かに、こちらの安心感だけを、確実に削り取っていく。

気味の悪さだけを残して

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少しでも表に出れば、狙われるという現実

サーチサイトへの登録は、いわば「ここに、こういう場所がありますよ」と、看板を立てる行為だ。

その看板を目にするのは、同じ感性を持つ善意の人たちばかりではない。

中には、誰かを困らせることそのものに、快楽を見出す人もいる。

以前、そういう人たちについて綴ったことがあった。

こちらが平穏を求めるほど、相手はその反応を面白がる。

顔も名前も分からないまま、ただこちらの動揺だけを楽しみたい人。

そういう存在が、インターネットにも紛れ込んでいる。(現実世界と同様に)

少しでも人目につく場所に立てば、そうした通り魔的な悪意に晒されるリスクは、避けられないのだと、身をもって知らされた出来事だった。

境界線を、意図的に引くということ

この経験から、一つの結論にたどり着いた。

「静かな場所」を守るためには、どうしたらいいのだろうか?

意図的に、自分の手で、外部との接触を制限する必要があるということ。

登録していたサーチサイトからは、すでに身を引いた。

問い合わせフォームや掲示板についても、今のままの形で開き続けるべきか、あらためて考え直している。

窓を開けておくことは、確かに新しい繋がりを生む。

けれど、その窓は、望まない悪意の侵入経路にもなり得る。

その両面を、これからは冷静に見極めていかなければならない。

すべての窓を閉ざしてしまえば、孤立してしまうかもしれないし。

けれど、無防備なまま開け放しておけば、また同じような通り魔に出くわすことになる。

このバランスを、どう保っていくか、考えもんだよ、全く

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静けさは、ただそこにあるものではない

「境界線のアトリエ」という名前を、あらためて噛みしめる。

境界線とは、ただ静かに佇んでいるだけの、受け身の状態を指す言葉ではない。

外からの悪意を見極め、時には拒み、時には受け入れながら、
自らの手で引き続けていく、能動的な行為として、サイト名に想いを込めた。

静かな場所は、自然に守られているわけではない。

自分の意志で、丁寧に、繰り返し、境界線を引き直していくことでしか、維持できないものなのだと思う。

これからも、必要な境界線を、恐れずに引いていきたいもんだね。

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